運動不足を補うべく、ちょっとへろ散歩を拡張している管理人夫婦である。
管理人夫婦がちょっと気に入っている公園がある。それは以前にも紹介した公園で、ちょっと坂になっている部分があるので、雪が降ると人々がやってきてはソリ遊びに興じるのである。そんな公園も平日の昼間に行くとほとんど誰もいない。ましてやマイナス14℃となると誰もいない。だが、週末に家族づれで賑わっているそり遊びに混ざれない孤独な大人はこういう平日の時間帯を狙ってやってくるのである。一人二人、黙々とそり遊びをする大人がいたりするのである。
さて、そんな公園が今日は霧氷に覆われてとても美しかったのであった。
この霧氷をラトビア語ではサルマという。とても美しいのでこの単語だけはすぐ覚えて忘れない。
こういう風景は住んでいないとなかなかお目にかかれない。
これがいつも手に入る風景かというとそうではない。きっと思い出話で誰かに話すに違いないと思う美しい光景であった。この心に刻まれた美しさは一生涯のもので、それは毎日の生活の中のほんの一瞬である。誰もが、そこに住んでいなければ目にすることのできない美しい景色を持っているはずである。それは本当に贅沢な瞬間で、当たり前の毎年のことだと思わない方がいい。管理人は今でも思い出す風景がある。高校時代の海の色である。この色は生涯忘れないと思うほどの深い美しい青。でもそれは毎日ではなく、高校3年間のうちの数日だったと思う。もう二度と見ることはないだろう美しい青。でもその記憶を持つという誇り。毎日はそんな宝物のような事象の塊なのである。
6 件のコメント:
おおせある通り人の心に焼き付いて、たぶん、一生心に刻まれる自然の一瞬の顔というものがありますね。
あるときだけ見られる、決して毎日ではないオーストラリアの空の青さ。普段は青は青でも
青絵の具にわずかの白を溶き混ぜたような色をしている空が青といっただけでは何か物足りない、それこそ紺ぺきとか群青という色に見える日、この空の下で畑仕事が出来る時間を持てた自分は幸せ者だなぁと思うものです。
あの樹々の小枝まで真っ白に粉をまぶしたようになる現象はそうですかラトビア語ではサルマというのですか。フィンランドのラプランドで毎日のように目にしましたっけ。
「ははぁ、クリスマスのお飾りはここから来ているのか」とひどく現実的なことが頭に浮かんだのを記憶しております。「そういやあの霧が凍りついたところに逆光で太陽が当たってキラリ、あれが銀紙の星を(私の子供の頃は豆電球のお飾りなどは高い、の一言で買ってもらえなかった)ぶら下げるワケなんだなぁ、って。
霧氷ということは、無風でマイナス5℃未満ですか。
こちら、ロンドン郊外では、風速5m/sくらいの東からの凍てつく風。風花がちらちら待っています。
体感温度でマイナス8℃とか、報じられています。雪が積もれば、多少は暖かくなるんですがねぇ。
明後日は立春です。
「サルマ」というのですか。響きが東欧の言葉っぽく、美しいですね。
管理人さんやさんさんのように、鮮やかに思い出せる美しい色・景色って、情けないことに私の中にはなく、こっちのIKEA帰りに車の中で見た真っピンクの空を見て「なんと禍々しい」と思ったくらいです。
多分気持ちの持ちよう一つで、普段見ている景色もとてつもなく美しくなったり、そこにあるのに、ただ気付いていなかっただけだったりするのでしょうか。
これからはそんな景色を心に焼き付けられたらいいな、と思いながら過ごしたいです。
こんにちは、さんさん。
冬のラップランドならサルマは沢山見られるでしょうね。ラトビアも割とサルマがよく出現します。そんなにしょっちゅうではないですが、とても美しいので、出るととても嬉しくなります。
絵葉書ではなく、写真ではなく、その瞬間に立ち会えたのが嬉しくなりますよね。
こんにちは、現役lecturerさん。
風花、懐かしい単語です。さだまさしの歌を思い出しました。
マイナス環境下で風は吹かないで欲しいですよね。風さえなければ結構快適なのに、といつも思います。明後日は立春、確かに。春は遠いですねえ。
こんにちは、かまくらさん。
サルマ、はラトビアに来てすぐに覚えた単語です。
今まで日常だと思っていたものが無くなったりすると、きっとノスタルジーとともに美化されるというのもあると思います。多分、人によって、それが色だったり、音だったり、感触だったり、色々と違うんだとも思います。
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