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2024年11月6日水曜日

胃腸炎

11月1日金曜日の朝に突如として激しい胃腸炎に見舞われた管理人である。

本当にそれは突如として吐き気をもよおし、下痢、そして気がつくと熱が出ているという状態であった。なんだか変な汗も止まらない。症状からしておそらく何か胃腸炎系のウイルスに感染したのだと思うわけである。ところが、今回は症状が結構激しく、胃の辺りから段々と痛みが広がって行くのである。初日のお昼過ぎぐらいには耐えきれずに救急車を呼んだのだが、旦那が症状を説明すると、

あー、それはウイルス感染が強く疑われるので救急車案件ではないです。水分と電解質を十分に摂って、熱があれば解熱剤を飲むしかないです。

ということで来てくれなかったのであった。仕方がないので旦那が電話で薬局に連絡して薬を注文したのであった。薬は夕方5時ごろに自宅まで届けてくれたので、ああ、良かったと一瞬ホッとしたのである。だが、薬というのは非常に甘い味付けのしてある電解質と炭タブレット、そして鎮痛剤なのであった。まずは電解質を飲んで、2時間後に炭タブレットを溶かして飲むというもので、どちらも大変不味い。水を飲んでも吐いてしまうというのにこの不味いものを飲んで吐かないわけがない。そんなこんなで一日中吐いてばかりの金曜日であった。

夜中もお腹が痛い。土曜日も日曜日もお腹が痛くて何も食べられない。3日間の断食となった。月曜日まで起きているのも辛く、一日中ベッドの中でお腹の痛みと戦っていたのであった。火曜日になってようやくお粥状のオートミールとか茶碗蒸しとかが食べられるようになり、水曜日に普通の食事に近いものが食べられるようになった。

以前、スペインとリトアニアで生牡蠣に当たったことがある管理人だが、せいぜい2日で復活できたものである。今回は一体何で当たったのかわからない。旦那は管理人が発症する1日前にお腹がかなり緩かったと言っているので、旦那がどこからかもらってきたのかもしれない。

ああ、やれやれの6日間であった。

2024年7月19日金曜日

読むということ

実は管理人は読むことがあまり得意ではない。

というか、興味のわかないものを読むことができないのである。これはおそらく遺伝で管理人の弟は今や開業医だが子供時代に読むことができた本はたった二つで「三月犬の日」と「時をかける少女」だけである。全く本を読まないというか図鑑は面白そうに見ていても小説とか物語とかを読む気配のない弟がとうとう本を読んだか!と記憶に残っているぐらいである。管理人の父が読んだことのある本は白秋の詩だけでそれ以外はさっぱりであった。晩年、NHKには視聴料を払わなくてもいいらしいよと渡した単行本は完読したという。

母はたくさん本を読んでいた。アガサクリスティが好きで、それで管理人も真似して読んでみたことがある。だが、どうやら管理人も父や弟寄りらしくあまり本は読まない、というか読めない。興味のわく論文は読めるが、たいていの小説やら何やらは最初の数行を読んだ後は続けられないのである。村上春樹は好きでたくさん読んだがノルウエーの森で終わった。

さて、新しいメガネを手にした管理人は実は少し戸惑っているのである。

読まなくて良い世界から読める世界に戻ってきたのは本当に素晴らしいことなのだが、何を読むべきかは実はもっと大切なことなのかなあとちょっと思ったのであった。

2024年7月18日木曜日

クリアな世界へ戻る

世の中はこんなにはっきりくっきりと美しいのだと喜んでいる管理人である。

ようやく新しいメガネが出来上がってきてぼんやりとした世界からクリアな世界へ帰ってきたのである。管理人は遠近両用とかのメガネには不安があったので運転用のメガネとコンピューター用のメガネと二つを作って、レンズを一番薄くできるものにしたので出来上がるまでに3週間もかかったのである。目の手術にはお金が掛からなかったのにその後のメガネの作り直しで結構な金額となった。とほほである。

コンピューター用の中距離用のメガネも大変快適である。
今は休暇中なので何もコンピューター上で仕事をする必要はないのだが、メガネが出来上がってきたら解析するよと約束したデータ解析があるのでそれはこなさなければならないと思う一方、メガネができたことはほんのしばらく仕事関係者には内緒にしておこうと思うのであった。


2024年6月26日水曜日

夏らしい日々

 夏至祭も終わり本格的な夏に入った感のあるラトビアである。

気温も25℃を上回る日も出てきたし日差しも夏らしい感じである。管理人は25℃を超えたら日向には出られない。暑いからである。今日はようやく新しいメガネを作りにリガへ来ているのだが、まあショッピングセンターの駐車場を歩いただけでぐったりである。そして新しいメガネは

三週間ほどかかります

ということで、げっそりである。

さて、Līgoのお祝いの時にサマーハウスへ来た客人が庭を探索してさくらんぼがたくさん食べごろになっていると報告してくれた。

このぐらい色が濃くなったら食べられる小さいさくらんぼ。
何故か勝手に生えてきた小さめの木にたくさんなっていた。
だいぶ前にはこのさくらんぼでワインを作ったりもしたものだが、もう流石にそういうことはしない。せいぜい収穫して洗ったらそのままウイスキーにつけて冬まで知らんぷりとかそのぐらいである。

サマーハウスの池に今年は白鳥がやってきた。白鳥は結構アグレッシブなので近づかないに越したことはない。ぴえちはビビリなので絶対に近づかないのでちょっと安心。

来月半ばから夏休みを取るまではリガとサマーハウスの行ったり来たりが続く管理人一家であった。


2024年6月13日木曜日

ボヤッとした毎日

 黄斑前膜の手術と白内障用のレンズ設置手術とで両眼の視力が大体-2.0Dぐらいになっている管理人である。これは焦点距離が30cmぐらいなので管理人としてはものは見えるがなんとなくぼんやりとしているわけである。もちろんメガネを作らないといけない。しかし、術後に視力が安定するには三週間ほどかかるのでそれまで待たないと眼鏡も作れない。ラトビアの場合、眼鏡は注文してから一週間ぐらいかかるので実質1ヶ月間の眼鏡なし生活である。

焦点距離が30cmの視力で眼鏡なしではコンピューターの画面も結構厳しい。最適なのはスマホ距離である。屋外を歩くのもちょっと気をつけないといけない。何しろふわふわとぼんやりしているので何かに蹴つまずいたりしかねない。屋内でも生活はできるが細かなゴミとか埃とかは見えないので掃除も適当である。もちろん何かを読むのも結構疲れる。なのでこの頃はもっぱらYouTubeでラジオの様な音声中心の番組を聴いていたりするのであった。

早くメガネを作りたい管理人であった。

2024年6月2日日曜日

手術費用(左眼の黄斑前膜、白内障用レンズ設置両眼)

ラトビアでは健康保険費を支払っていると、というか管理人の場合は勝手に給与から天引きされていると、基本的にそれでカバーされる範囲の医療行為に対する自己負担額は非常に低くなっている。 

例えば、白内障の手術とレンズはタダである。その代わりレンズは選べない。単焦点レンズで例えばメーカーとかも選べない。おそらくプライベートクリニックとかへ行くと日本のように色々とレンズも選べるのかもしれないが、以前レーシックをしようかと思ってプライベートクリニックへ行った時も医師に反対されて断念したことがある管理人である。ラトビアの医師は保険の効かない医療行為についてはとても消極的である。というわけで白内障用レンズ設置もほぼ有無を言わす保険適応である。そのため、かかった費用は0である。

左眼の黄斑前膜の手術についても検査は全てタダである。これはちょっと特殊な手術なので一部自己負担になって31ユーロであった。そしてこれは一泊の入院だったため、入院の際の食事代がかかる。3食で10ユーロであった。90%以上が炭水化物であろうと思われる病院食を拒否して持参のものを食べてもこの病院食費は支払わなくてはならない。というわけで、二つの手術とレンズ代そして入院費の総自己負担は41ユーロ(1ユーロ160円換算で6500円ぐらい)である。だが、管理人の場合は大学が福利厚生として大学職員に民間の健康保険代を出してくれているのでこの41ユーロもそれでカバーされて結局0となった。病院の受付で民間の保険カードを提示するとその分は直接保険会社へ請求が行くので患者が受付で支払う必要もない。

薬は黄斑前膜の手術後に5日間の抗生物質の服用と二週間の点眼薬であった。抗生物質は手術以前に膀胱炎になってしまってすでに抗生物質の服用中であったためそれだけで良いということになって新たな抗生物質は買わずじまいである。点眼薬は旦那が支払ったのでいくらなのかよく覚えていないというのでわからないがこれも社会保障費で賄われるタイプのものなので最低限の値段であるはずである。白内障のレンズ設置のみの右目の手術後は二週間の点眼薬、である。抗生物質の服用はない。以前は白内障の手術の際も抗生物質の服用が普通であったようである。しかし、数年前に白内障手術後の抗生物質の服用の有無での目の感染や回復の具合などを比較した研究で差がなかったことから最近では白内障手術後の抗生物質の服用は無しで良いということになっているようである。


2024年6月1日土曜日

黄斑前膜手術(5)手術後9−11日目の見え方

 さて、黄斑前膜の手術から8日目にはもう片方の目に白内障用の眼内レンズを設置する手術をした管理人である。白内障用のレンズの設置はとても普通な手術ではあるが流石に手術直後にはちゃんと焦点もきちんと見たい場所に合って見えるかどうかはわからない。そこで黄斑前膜の手術をした方の左目がある程度見えるようになっていることが必要である。

黄斑前膜の手術の際に眼球に入れられたガス(空気)は順調に小さくなってきていて、確かに8日目にどれだけ小さくなっているかは人にもよるのでもう一方の目の手術をもう少し伸ばすという選択肢もあったわけである。幸いにも8日目には視野のほとんどが多少ぼやけてはいるがなんとなくぼやけながらも見えるという状態であった。

こちらが術後9日目の見え方である。ガスの球はもうこんなに小さくなっていてあまり気にならない。
ガスの球は時間を追うごとに小さくなってきていて朝と晩で大きさの違いがわかるぐらいである。結局10日目には上の図の半分ぐらいの大きさになって11日目の朝にはさらにその半分ぐらいになって昼過ぎには消えてなくなったのであった。バンザイ!

肝心の、ガスの無くなった部分の見え方はというと、まだ黄斑部に歪みが残っているせいか視野の中心部分に少し歪みがある。しかしまあ、黄斑部の網膜に張り付いて縮んでシワを作っていた膜を剥がしたからといって網膜のシワがアイロンをかけたみたいにすぐに伸びて真っ平らになるというわけでは無いのでこれは致し方ない。網膜のシワが伸びるには時間がかかるはずである。時間をかけてこの歪みは解消方向へ向かっていくのであろう。ただ、歪みをチェックするアムスラーチャートを左目で見てみると術前よりは確実に歪みが減っている。こればかりは時間が経つのを待つしか無いようである。

2024年5月31日金曜日

白内障レンズ設置手術(2)手術とその直後

 10分から15分に一人のペースで手術室へ呼ばれていく。そしてとうとう管理人の番が回ってきたのだった。手術台はリクライニングベッドの様な形をしている何やら機械と一体化したものである。看護師さんに促されてベッドの上に仰向けに寝ると少しだけ頭がそるような形になっている。そして手術をする方の目の部分だけ透明になっている青いシートをかけられ、その透明部分を目の周りに接着させ、その内側の透明シートをハサミか何かで切り抜いて目を露出させている様である。そして瞼が閉じないように固定され、おそらく麻酔の注射をしたのだと思う。そしてまた前回と同じ女医さんが囁くように

リラックスして正面の光をずっと見ててくださいね。両目とも開けて光を見ててくださいね。

と言ったかと思うと何やら水をかけられ手術スタートである。実際ぼやーっとした視界で何かが見えるわけではない。正面の光源だけである。だが、機械の音と目の中を何かされている感覚からどうやら水晶体の中身を抜き取っているのだな、とかは想像がつく。痛みはないが、少し痒いようなチクチクとした感じを時折感じたのであった。

これが管理人にとっては2回目の眼の手術だったわけだが、やはり手術中にリラックスなどできるわけもない。お医者さんが目で何か作業をしている時はどうしても全身がこわばってしまう。そんなこんなで手術は終わったわけである。最後に透明な眼帯絆創膏を貼ってもらっておしまいである。

その後廊下の椅子に座って待っているように言われて待っていると看護師さんがやってきて元来た道を連れ戻してくれたのであった。途中で手術ガウンなどを脱ぎ鍵付きロッカーに入れておいた私物を受け取って受付前で待っていると別の看護師さんが書類を持ってやってきて購入すべき点眼薬とそれを一日4回2週間続けること、そして重いものは2ヶ月ぐらい持たないようにすること、と注意をして終了となった。

「サングラス持ってきてる?」

と聞かれたが持ってきていないと答えると、

「手術用に瞳孔を開く薬を使ってるから外に出るとものすごく眩しいから注意してね」

ということであった。そういうことは手術に来る前に教えて欲しいものである。

さて、朝8時から事前診察が始まり手術が終わって解放されたのは13時ぐらいであった。タクシーを呼んで帰ろうかと思ったが確かに看護師さんのいうように外へ出るとあまりに眩しくて数段の階段も降りられない。旦那に電話して迎えにきてもらうことにしたのであった。建物のあまり日差しの入らない場所の椅子に陣取って自販機のコーヒーを飲んで旦那を待つ間、周りを見回すとメガネなしでものが見える。ボヤッとしてはいるがなんだか見える。なんだか嬉しいと思うと同時に気がつくと目がチクチクしている。ああ、このチクチクがきっと今日いっぱいは最低続くのだろうなと憂鬱になったのであった。すでに卒業試験は終わっていた時刻だったので程なく旦那が車で迎えにきてくれるとドッと疲れが出てきた。お腹も空いている。

「ピーラージニが食べたい」

ピーラージニとは小さな三日月型のパンで中にハム系の肉あんが入っているものである。管理人は普段炭水化物を避けた食事をしているが、こんなに頑張ってしかも疲れた自分には小さなご褒美が必要だと思ったわけである。そして帰宅途中で旦那がスーパーに寄って買ってきてくれたピーラージニを助手席で食べつつ疲れを噛み締めたのであった。家に着くと、ピーラージニ効果なのか眼のチクチク感はすっかり消えて嬉しかった管理人である。しかし、疲れは結構なものですぐにベッドで横になって眠ってしまったのであった。

2024年5月30日木曜日

白内障レンズ設置手術(1)術前検査

 左目の黄斑前膜の硝子体手術から8日を経て今度は右目の白内障レンズ設置手術を受けてきた管理人である。

白内障の手術は誰に聞いても痛くないし手術中はぼやっとした視界だけで手術道具が目に迫ってくるようなものは見えないから安心、と聞いていたわけである。実際、左目の硝子体手術の際にも白内障のレンズ設置を同時にしていて、いつレンズを入れたのかよくわからなかったので割と安心して手術へ向かった管理人であった。当日、旦那は医学部の卒業試験で管理人に付き添えなかったので単独で手術に臨んできたわけである。

前回の硝子体手術で大体の手順はわかっているので一人でも余裕である。しかも日帰り手術である。事前に準備しておくことなどは何も言い渡されていない。日本のクリニックの白内障手術の注意書きを読むと数日前から指定の目薬をしてくださいとかの場合がある様だが、ラトビアの眼科医では全く何も準備は言い渡されていないわけである。

この眼科は去年「患者が選ぶ良いクリニック眼科部門」で一位を獲得しているということで、日帰り手術患者も長蛇の列である。ほぼ工場のライン並にあっちへ行ってこっちへ行って検査や準備と大変スムーズである。検査は視力検査、眼圧測定、眼内検査、血圧測定、眼の超音波検査、そして問診である。その検査が終わって廊下で待っていると二人づつぐらい看護師さんに呼ばれて手術棟へと案内される。そこで使い捨ての手術ガウンを洋服の上からつけ、頭髪キャップ、そして靴を拭いで使い捨ての足カバーをつけて手術室の廊下の椅子にかけて待つわけである。その間、看護師さんがたびたびやってきて3種類の目薬を指してくれる。5分間隔で3セットなのだと思うのだが、間隔も適当だし、何しろ廊下の椅子に一列に並んで座っている常時4人ぐらいいる手術待ち患者に一斉に上を向かせ、工場ラインのように次々と目薬をさしていくのである。白内障関連の患者ばかりなので一人一人の手術時間は10分程度である。気になるのは、そんなたった10分の手術が終わって出てきた人が一様にぐったり疲れた様子だったことである。

手術そのものと手術直後については明日。

2024年5月27日月曜日

黄斑前膜手術(3)手術後6日目の診察

 今日は術後6日目の診察であった。

朝8時から9時の間というラッシュアワー真っ只中の診察時間だったのでタクシーを呼んで行ってきた管理人である。経過は良好なので予定通り明後日にもう片方の目の白内障用レンズの設置手術をすることとなった。これは日帰りである。

術後6日目の見え方はガスの球がさらに小さくなって、正面を見た時に見えるガスの黒っぽい影は視界の下6分の1ぐらいのところでプルプルしている状態である。そしてガスの上の透明な部分にはガスの表面に反射した像がうっすらと逆さまに見えている。今日の診察まで硝子体手術をした方の右目は眼帯というか眼用の絆創膏の様なものを貼っていたのだが、もうなるべく両眼で見たほうがいいということであった。両眼といっても手術をしていない方の目は視力が-7.0Dぐらいでメガネなしではほぼ見えないし、かといって手術をした方の目はガス球がいたり反射像が見えたりなので、コンピューター作業をするために持っていた-5.0Dのメガネをかけている状態である。これをかけると手術をした方の目はすでに白内障用の眼内レンズが入っているので全然フォーカスが合わないが脳はとにかくピントの合っている情報を優先的に認識するので家の中で生活する分にはOKである。

さて、診察の時にこの眼の中のガスは一体なんのガスですか?と興味本位で聞いたところ、空気です、という答えであった。実際、眼内に入れるガスとしては空気のほかに3種類ぐらいあって、網膜をどのくらいの期間押さえつけるかによって使い分けるのだそうである。空気は一番短くて大体1週間程度で吸収されて消えていくが、他のガスは2週間とか3週間とか長めなのだそうである。なんだ、空気だったのか。

病院からの帰りもタクシーというかBoltというライドシェアみたいな配車サービスを使った。ちょうど呼べたのがテスラで初テスラを体験することができた。

2024年5月25日土曜日

黄斑前膜手術(3)手術後4日目の見え方

 術後4日目となった管理人である。

毎日4回欠かさず目薬をさし、抗生物質も忘れずに飲んでいる毎日である。眼球内に充填されたガスは毎日少しづつ小さくなってきているようでだいぶ気分が上向きになって来ている。もう、下を向くとガスの全体像の輪郭が見えるぐらいになったのである。そして、なんとも嬉しいのはその黒っぽいガスの上に見える景色がまだ完全ではないが白内障のレンズの効果で明らかに手術前より視力が上がっているのを感じることができることである。

術後4日目の見え方はこんな感じ。黒っぽい球体がだんだん小さくなって来ていて透明な部分はまだ水中感があるが割と見える様になってきた。

このガスの球は眼球内の水分に浮いている状態なので、顔を小さく揺らすとこの黒い球もプルプルと揺れる。電動歯ブラシで歯磨きをするとプルプルプルプル振動するのである。

文字を読んだりするときはこの手術をした方の左目は閉じているかもしくは眼帯で左目を覆っていないと読むのはかなり難しい。脳はフォーカスの良い方の画像を採用するとは言うが左目のこの黒い球体の情報を消し去ることはできないからである。ただまあ、文字や画像を見たりしなければ両眼で見ながら部屋の中で生活する分には気持ち悪いが可能である。

2024年5月23日木曜日

黄斑前膜手術(2)手術の夜と翌朝

手術後は大して痛みを感じると言うことはなかった管理人であった。

ああ、このまま痛くなく翌朝を迎えられますように、と思ったものだが、術後の夜中にふと目が覚めると目の中に結構な異物感があり、それが起き上がると結構痛い。それからまた横になるとそうでもない。眼球を動かすと何かが引っ掛かるような、そんな感じであった。そんななんとなく眠れない夜を過ごしての早朝には医師による診察があった。眼科だからなのか医師がベッドへやってくる形式ではなく、患者がずらりと廊下の椅子に並んで一人一人診察を待つというものであった。診察担当の医師は管理人の目を診察したのちに

「じゃ、抜糸しますね」

といきなりその場で抜糸を始めたのであった。

やっぱり縫われていたのである。やっぱりぎゅっと結んでいたのである。

次の診察日を言われ、書類を渡された上で、指定された目薬を一日4回そして5日間の抗生物質の服用ということであった。

病室へ戻ってしばらくしてから朝食が運ばれてきてそれを食べてから旦那に迎えにきてもらったのであった。

抜糸をしてもらった後は家へ帰っても異物感はなく、普通に目を開け閉めしても特に痛みもない。ただ、指定の目薬(ステロイド入りの抗炎症剤と抗生物質の混合)をさすと地味に沁みる。

さて、ここからは術後1日目の見え方についてである。
今回の手術では硝子体を取り除いてその代わりに一時的にガスを入れているということなので、見えてはいるが変な屈折率の水中からものを見ているような感じである。この代わりのガスはだんだんと抜けていって1週間から2週間で自分の液体に置き換わるということでそうすると一応ちゃんと見えるようになるはずだということである。
このガスというのは網膜を外側へ向かって押しつける働きがあるらしいのだが、網膜剥離の人のように下向きで生活しなければいけないことはない。ただ、術後1日ぐらいだと視界が上下二つに分かれているという不思議な見え方をするのである。ガスは眼球の上側に常に溜まっているので、真っ直ぐ前を見ると視野の下5分の4ぐらいがなんとなく薄い墨汁でもある様な感じになっていてものはやたらと大きく見える。だが、上5分の1ぐらいのところはくっきりとみえている。この薄い墨汁のような色の部分がガスで、眼球上部に溜まっているので見える時には下側になって見えるのである。これが1−2週間かけてクリアな部分が広がってくるのはずである。ガスと液体部分の境界も見える。さらに、ガスは常に上に溜まっているので、横向きになって寝そべると体と平行に境界線が見えたり、顔を真下に向けるとガスと液体部分の両方が重なってほぼ何も見えなくなるのである。

左が正常。右が術後1日とか2日とかの感じ。この黒くもやっている部分がガス。ガスによって屈折率が変わっているので靄っている部分のものはかなり大きく見える。



2024年5月22日水曜日

黄斑前膜手術(1)手術編

 無事手術と一泊入院を経て帰還した管理人である。

黄斑前膜(もしくは網膜前膜)の手術はあまり体験談を見かけないのと、やはり自分のための記録として記憶が鮮明なうちに残しておこうと思うのであった。

さて、手術当日は朝9時から病院で術前検査である。
検査項目は主に目に関するものである。検査待ちの時間に気づいたことは、眼科というのは想像以上に高齢者ばかりだということであった。管理人は最も若い部類に入るのである。それが11時ぐらいに終了して入院する病棟のベッドで待っているとお迎えが来ると言う仕組みである。手術病棟へ行く前に何やら注射を腕とお尻に受けて、その後手術着に着替えるのだが、なんと紙オムツ着用なのである。手術病棟まではなぜかスタッフが車椅子で運んでくれた。結構遠いのでど近眼が裸眼で転倒でもしたら困るということなのかもしれない。

手術室の前の椅子で待っていると、手術室付きの看護師さんが定期的に目薬をさしてくれた。そしていよいよ手術室へGOである。

黄斑前膜の手術には3段階ある。

  1. 白内障用レンズの装着
  2. 眼球上に手術用ポートの設置
  3. 硝子体の除去と代替液体の挿入
  4. 網膜上に張り付いた膜(これは硝子体由来)を染色してピンセットで剥がす。

である。そしてその前に目の下の若い女子で言う涙袋のあたりに麻酔の注射を打つのであるが、これが地味に喉の奥の方でケミカルな味となって認識できる。ラトビアラジオ1の流れる手術室内でしばらく待っていると麻酔が聞いたらしく瞼が痺れたような感覚になった。その後は左眼の部分だけが開いているシートを被せられ、まっすぐ正面に見える光源を見ているように言われて、いつの間にか目を開けっぱなしにするような器具がいつ装着されていたのであった。

執刀医は女医さんで、とても落ち着いた穏やかな声で色々と声をかけてくれた。

「ちょっと、嫌な感じがしますよ」

という前置きで行われたのが1の眼球上に手術用ポートを設置する、と言うやつである。つまりは白目の部分に注射針のようなものを3箇所突き刺すのである。その注射針のような中の空洞に手術道具を通して遠隔操作で眼内手術を行うのである。つまりは腹腔鏡手術のような感じである。さて、その感じはというと、大変恐怖であった。局所麻酔が効いているとはいえ、目玉に針を3本も刺すのである。その時の圧と言ったら、ちょっとではない、言いようのない嫌な感じMAXであった。

ちなみにここまでの行程では何が行われているのか想像はできても実際に見えるわけではない。痛くない、そして目の前はぼんやりしていて手術は見えないと言うことが安堵につながるのである。ところが、しばらくすると何か線状の物が見えてくる。それはどうやら何かを吸い込んでいるようである。これが行程の2番目の硝子体の除去である。そして驚いたことには、青いインクのような液体が注入されてくるのもはっきり見えるのである。さらにしばらくするとピンセットのような道具が出てきて薄い青色に染まった膜をつまんで剥がし始める様子もくっきりはっきり見えるのである。これはおそらく、普段は真っ暗な眼球内に光源を挿入したからなのだと思うのである。その光源で照らされた場所の網膜に眼内で光を浴びている物体などが映し出されているのだと思うのである。だが、本当のところはわからない。

青く染まった膜をきれいに取り除くと、剥がした青い膜が目の中の液体の中をふわふわと漂っている。それを時折吸引機で吸い込んで除去する。全部剥がし終わってから眼内の液体を何回か交換するとどうやら眼内作業は終わりのようである。正直、白内障用のレンズはいつ装着されたのかわからなかった。

そして最後に白目部分に突き刺さっている3本のポートが抜かれた。そしてどうやらその抜いた部分を縫っているような感じであった。

縫うのか。。。眼球を縫うって。。。

局所麻酔のおかげで縫い針で縫われていると言うような感覚はない。だが、とにかく最後に糸をギューっと結んでいる感じなのである。それを3箇所である。

看護師さんに誘導されながらまた車椅子で病室まで運んでもらったのであった。「病室へ戻ったらお昼ご飯を食べて、横になって3時間ぐらい寝てくださいね」と言う看護師さんの言葉通り、すでに昼食が用意されていて、それを食べると一気に眠くなって3時間ほど眠った管理人である。


2024年5月20日月曜日

入院準備

 とうとう明日入院して左目の黄斑前膜の除去手術と白内障用のレンズの設置手術である。白内障用のレンズの設置手術だけなら日帰りなのだそうだが、黄斑前膜の除去手術だと目の中の硝子体を取り除いてから網膜状に張り付いた硝子体の残骸膜を取り除くという手術なので一応一晩入院なのだそうな。

と言うわけで、入院準備である。

一晩だけの入院なので管理人自身の支度は大したことはない。どちらかというと、ぴえちの餌の用意とか、ちょうどスーパーから食材が届いたところなのでその下拵えとか、そっちの方が心配だったのである。ぴえちの餌は犬用冷凍ハンバーグ160g、砂肝150g、若鶏の背中125g、が基本で、そこにその時々で魚やら卵やらが混ざると言う感じである。なので基本セットを数回分に分けて作っておくわけである。

今日はちょうどスーパーからアトランティックサーモンのフィレが届いたのでそれを加えることになるのである。サーモンフィレは人間用に「ちょっと塩したサーモン」にするので取り除いた余分な部分と尻尾に近い筋が多い部分がぴえちのご飯に加えられるのである。

あたちのご飯には一番頭に近い美味しいところをください。

人間用のサーモンはただ塩を振って一晩冷蔵すると塩で余分な水分が出て美味しくなるのである。
頭に近い部分は一番美味しいので特に何も工夫せず塩を振った後に胡椒だけ。もちろん人間用。一晩冷蔵庫で寝かしたら薄く削ぎ切りにして生のまま黒パンに乗せて食べる。旦那の好物である。

手術は十分不安である。だが致し方ない。なるようにしかならない。心配しても仕方ないので、とりあえずスマホにゲームをダウンロードして心を無にすることにした管理人であった。

2024年5月19日日曜日

ぎっくり腰からの復活

ぎっくり腰発生から10日でようやく人間への復帰を果たした管理人である。

歩けるのなら歩いたほうが良いと言うアドバイスとストレッチも意外に効くと言う話だったのでその通りにした訳である。確かに家の中でも立ち上がって歩いたほうが楽になっていく感じであった。

ストレッチは寝転がって両手を広げて片足だけ膝を立てた状態から膝を反対側へ倒していくと言うもので、腰からお尻太ももの側面が伸びるような感じであった。これが管理人の場合は非常によく効いて、これをやると一瞬痛みが引いたのであった。

湯船で温まると良いというアドバイスもいただいたので半身浴にも勤しんだのであった。全くこの10日間は腰痛を早く治すことだけに集中していたのであった。

その甲斐あって腰痛はほとんど良くなったが、なぜか膀胱炎になってしまったのであった。膀胱炎になると自動的に抗生物質を飲まなくてはならないので禁酒である。そして来週には目の手術があるのでそれ以降はやはり禁酒である。と言うわけで3週間近く禁酒となるわけである。

悲しい。だが、これも健康のため、6月以降に楽しく暮らせるように今月は淡々と暮らしていこうと思う管理人であった。

2024年5月8日水曜日

ぎっくり腰

ちょっと捻っただけなのにギックリ腰になった管理人である。

月曜日にギックリやってようやく家の中ならなんとか動けると言う状態である。仕方がないので今週の予定は全てキャンセルとか代わりになんとかしてもらうとかそんな感じである。動かなければ痛みはないのでリモートワークはしているものの、座ったままだとその後が立ち上がるのも痛くなってしまうのである。30分ごとに訳もなく立ち上がってキッチンでお茶を入れてみたりとそんな感じである。なんとか歩けるとは言え、膝を曲げてちょっと前屈み気味でないと痛い。

一番痛いのは朝で、寝ている間に動かなかったからか立ち上がるのも歩くのもかなり痛い。だが、それでもなんとかゆっくり動いていると少しづつなんとかなってくる。そんな感じなので1日何となく動いた夕方ぐらいから調子が良くなってくるのである。

全く困るのはぴえちが不意に

「抱っこー」

とよじ登ってくることである。
その度に大声で悲鳴をあげている管理人である。

再来週とその次の週には目の手術が控えているので、どうやら今月はじっと我慢の月になるようである。

2024年4月29日月曜日

検査ゲーム

今日は目の手術を行うにあたって必要な事前検査をしてきた管理人である。

ラトビアの医療制度としては、一応国民皆保険となっているので何事にも標準治療と指定のジェネリック医薬品の場合は政府によって補填されるので医療費で生活が圧迫されるということはないことになっている。5月中旬に控えている管理人の眼の手術も保険でカバーされる類のものである。カバーされるためにはファミリードクターからの書類というかファミリードクターの許可みたいなものがデータベース上で共有される必要があり、そのために手術前の事前検査が必要だという、まあそんな流れである。

必要項目は、血液検査、尿検査、心電図、そして胸部レントゲンである。これらの検査をするにはどうしたらいいのかはよくわからないので医師の友人に聞いたところ彼女が全部手配してくれるという。それで今日行ってきたわけである。

旦那に病院まで送ってもらい、友人医師と合流してからは一人なのでラトビア語でサバイバルしよう!の時間のスタートである。友人医師は仕事があるので一応最初だけ「この人お願いね」と睨みをきかせてくれて後は管理人が自力で検査ゲームを乗り切るしかないわけである。

検査ゲームはラトビア語対応だけで全ての検査をクリアするのがゴールである。というのも、受付のお嬢さんたちは大抵ラトビア語の他に英語ロシア語も話せるが、技師だったり看護師さんだったりすると「英語はちょっと」の人が多いからである。いや、彼らも一応は話せるが彼らも英語を話すのには結構なストレスがある場合も多いのである。

検査ゲームの流れはこんな感じである。

  1. 受付で呼ばれたらそこでの指示を明確に確認する。というのも指示の内容は「建物何階の何番室へ行ってこの検査をしてその後ここへ戻ってくる」というようなものであるからである。ミッションを聞き逃すと戻って来れなくなったりするのである。なぜ戻って来れなくなるのかというと、検査受付のある領域は専門領域なので一般人はエレベーターに乗る身分証カードがない、その場合は一般領域へ出てそこから戻ってくる、とかそんな感じなのである。
  2. 検査場所では自分が何番目なのか、というよりは誰の次なのかを確認する。これはそこに並んでいる人に聞かないとダメだ。「最後の人はどなたですか?」というラトビア語文章が必須アイテムである。
  3. 検査で自分の順番が回ってきたら技師さんやら看護師さんやらの具体的な指示を聞き逃さないようにする。全部脱がなきゃいけないのか、めくればいいのか、指示がある。そして、案外重要なのが、検査が終わったのかどうか、もう行っていいのかどうかを聞き分けることである。ここができると誰もがハッピーな気分になる。アジア顔の患者も英語がちょっと苦手な技師さんも、ああ無事終わった、とっとと消えれ、ということである。

    これを検査ごとに繰り返して4つクリアしたら管理人の勝ちである。

2024年4月19日金曜日

白内障のレンズについて

普通に目が健康な人なら白内障のレンズをマルチフォーカルのものにすると一気に老眼からも解放されてメガネなし生活を送ることができる。実際、管理人の友人で80歳ぐらいのイスラエルのご夫妻は二人とも多焦点レンズを入れて快適に毎日を過ごされている。管理人の友人も白内障ではなくても早めにレンズを入れてメガネから解放されている人たちもいる。そんなこんなで管理人も白内障用の多焦点レンズを入れたいなあと貯金までしていたわけである。多焦点レンズは保険が効かない場合がどこの国でも多いからである。

だが、残念ながら黄斑前膜などの網膜系の疾患がある場合は多焦点レンズは使えないという。その理由はさまざまあるが、黄斑前膜を手術で取り除いても網膜上に歪みが残る場合もあるので高価なレンズを入れてもさほどの効果が期待できないかもしれないということと、膜を取り除いた後に引っ張られていた網膜が少し後ろへずれることによって術前より視力が近眼方向へ動くことがあるのでよくわからない、ということがある。そして何より、多少点レンズでは目の中に入ってくる光量を各焦点に振り分けるために単焦点レンズと比べるとコントラストや解像力が弱くなるということである。網膜に疾患があるのにコントラストや解像力が弱くなるということは見えにくくなるということである。

そんなわけで、管理人の場合は単焦点レンズの一択である。ただ、単焦点レンズでもmonofocal IOL with enhanced intermediate functionという種類のものは黄斑前膜の術後装着でかなり良い結果が出ているという論文を見つけたのでそれが使えるかどうかを担当医に聞いてみようかと思っているわけである。

2024年4月18日木曜日

黄斑前膜 その2

診断もついたし手術の日取りも決まったので、それなりに下準備としてこの黄斑前膜とは何者なのか、何でそんなことになったのか、そしてどんな手術をして経過はどんな感じなのかを調べてみた管理人である。

まず、黄斑前膜というのは加齢とともに起こる確率が高くなるものであるということである。その理由は、加齢とともに硝子体というゼリー状で眼球のほとんどのスペースを埋めているものが部分的に液状化し、本来は網膜にピッタリくっついていたものが剥がれてくることに由来する。剥がれる時にその硝子体の一部が眼底の黄斑部分に残ってしまうと、それが膜化して黄斑前膜となる。管理人には思い当たる節がある。コロナ禍で管理人は目の端に閃光をみたのである。さらにその直後に飛蚊症が出てきた。これはまさに硝子体が網膜から剥がれる時に見えるものでその時は「やば、網膜剥離起こしてるかも」と思ってその場ですぐ眼科医へ直行したのであった。幸い網膜剥離は起こしていなかったが、硝子体が少しづつ網膜から剥がれつつあるのは容易に想像できたわけである。その過程で硝子体の一部が黄斑部に残ったのであろう。

というわけで、心当たりはあるのである。

治療法は手術のみである。手術のタイミングは色々あるらしいが、管理人のようにすでに歪みが見えている状態なら良いようである。手術は硝子体を少しづつ抜き出して空っぽにした後に黄斑部にくっ付いている膜をピンセットで剥がすというものである。考えただけでも気持ち悪いというか手先の器用な医師じゃないとそれ無理なんじゃ?と思うわけである。でもまあ、仕方ない、医師に頑張ってもらうしかない。そして、手術は部分麻酔だということである。寝ている間に終了というわけにはいかない。手術中も意識はある。全くもって怖すぎる話である。流石に手術後は病院に一泊である。またか、また入院なのか。

術後の経過はあまり情報がない。が、大抵の経験談では視力が戻って良かったとかスッキリ見えるようになったとかそういう感じなので、そうなると信じるしかないようである。

まあ、現状としては右目の視力だけで文字を読んでいるような感じで、そこに歪んだ左目の情報が重なってなかなか読みづらい。大抵はコンピューターの画面上の話なのでフォントを大きくしたりして凌いでいるがどう考えても限界は近い。手術してこの歪みを除かないとどうしようもないわけである。

さて、次回は同時に行う白内障の手術と眼内レンズについて。

2024年4月17日水曜日

黄斑前膜

 半年以上前から何だかものが見えにくくなっていて、片目づつ見方を比べてみたら左眼の見え方が歪んでいることに気づいた管理人である。

こう、格子状のものを見ると歪んで見えることに気づくのである。それも左眼だけである。

どう考えても何かよからぬことが起こっているわけである。というわけで眼科医で診てもらった管理人である。当初は白内障なんじゃないかとかもっとやばい場合は緑内障なんじゃないかとか色々と心配したのだが、それは黄斑前膜というものであった。何らかの原因で黄斑部という眼底の一番視力の出る部分に薄い膜が張ってしまって、それが寄れてシワみたいになって、それを通してものを見ているために画像が歪むのである。

OCTという機器で目の中の画像解析をするとあっという間にわかるようで、眼科医さんたちは、あー、これね、と画像を見た瞬間に皆で頷いていたわけである。

さて、治療には手術が必要だということで、ラトビアにこの手術ができる眼科医はとても少ないらしい。手術するなら年齢も年齢なので白内障の眼内レンズ設置も同時にやってしまった方が良いという提案であった。というわけで白内障の眼内レンズ設置もすることにしたのであった。だが、いずれにしても網膜の病気でその膜を取り除いたからといって網膜のシワが伸びない場合もあるらしく、そうすると高価なマルチフォーカルのレンズを入れても歪んでるとなることもあるので、単焦点しか入れられませんということであった。残念。メガネとはおさらばできないようである。