先日、イギリス人彼氏とラトビア人彼女のカップルが我が家を訪ねてくれた。
グリリをしたりするのだが、イギリス人彼氏は枝豆が好物だというのでおつまみにと枝豆とそら豆を茹でたものを用意した管理人である。枝豆はサヤ付きの冷凍品でスーパーで普通に入手できる。そら豆は今が旬の新鮮なものである。案の定、枝豆を見て彼らは喜んでくれたのであった。こちらも嬉しい。ただ、見ているとどうも勝手が違うのである。
なんと器用に枝豆をナイフとフォークを使って枝豆を鞘から出して食べているのである。
そら豆は鞘から出した状態で茹でたものだったのだが、豆の周りにはちょっと厚めの皮がついている。まあ、普通に手で剥いて食べてくれるかと思ったが、剥かずに普通にフォークで刺して食べていたのである。
色々な意味で新鮮で驚きである。
思えば、枝豆などは日本人にとって身近すぎる食べ物だが外国人にとっては違うわけである。確かに以前ラトビア人の友人に枝豆はどうやって食べるのか聞かれたことがあったのも事実である。ああ、鞘から出した冷凍枝豆を茹でたほうが親切だったのかもしれない。でもそれでは枝豆の風情を損なうというものである。
海外の人にとって皮というのは割と気にならないものなのかもしれない。そら豆の豆の周りの皮は管理人には剥かないと食感が悪いと思うわけである。そういえば確かこちらの人たちは桃の皮を剥かずに丸齧りしたりするし、杏の身も皮ごとガブリである。そら豆の皮如きは気にならないのかもしれない。 ああ、そういえばラトビア語では「些細なことだよ、気にしないよ」という意味で「Pupu mizas」という表現がある。直訳すると「豆の皮」である。そうか、元々気にしないんだ、と妙に納得のいった管理人であった。