ここのところ、ベラルーシ経由の移民希望者たちがベラルーシとポーランド、ベラルーシとリトアニアの国境にひしめいていてトラブルになっているという報道がコロナ関連よりずっと大きく報じられている。特にコロナが下火になったわけではない。
ラトビアもベラルーシと国境を接しているが、その距離はポーランドやリトアニアの半分以下である。それでも国境にはイバラ鉄線の応急処置的なバリアが築かれていて、国境警備隊がしっかりと見張っているという状態である。ポーランドもリトアニアも既にベラルーシとの国境に壁を建設することを決めている。ラトビアもである。トランプ前大統領がメキシコとの国境に壁を建設するという話を聞いた時、へええ、と思ったわけだが、今は壁の必要性がちょっと飲み込める管理人である。
移民希望者たちの目的地はドイツである。なので大半の移民希望者たちはポーランド国境を越えて近道でドイツへと考えているわけである。ドイツは移民に対して結構手厚いので目指すわけである。ラトビアの国境を越えて、と思う移民希望者たちは少ない。それは目的地のドイツがどんどん遠くなってしまうからである。さらに、北へ行けば行くほど森で凍え死ぬ確率が高くなるからであろう。自国での暮らしがままならなくて欧州へ移り住みたいと思うのなら、ラトビアだってリトアニアだって良いじゃないかと思うのだが、そうではない。彼らにとっては手厚い保護のあるドイツが良いわけである。それが、少しラトビアにとっては幸いしているようにも見える。
日本に住んでいる頃には移民が国境を不法に越えて、なんていう話は考えもしなかったが、やはり陸続きだとそういう問題が起こるんだなあと今更ながらに思う管理人である。
ラトビアへ来たての頃、旦那に頼んでなんの用もないのにわざわざリトアニアの国境まで車で行ってもらったことがある。その頃はまだラトビアとリトアニアの間にパスポートコントロールがあって、ただ国境を越えてお茶を飲んで戻ってきて、パスポートに自動車のハンコを押してもらって大喜びだったのである。実際、今でもそのハンコは管理人の宝物である。その時はなんとなく地続きの国境を越えた島国人の喜びだったわけだが、既にEU内のシェンゲン参加前の国境はとても形式的なものであった。その数年後に仕事でロシアへいくことになって本当の国境を見たのであった。ロシアのプスコフへの出張が決まった時には、
「どうかビザ降りませんように」
と祈っていたものである。
だが、今となっては本物の国境を見ることができただけで良い体験だったなあと思うのである。
8 件のコメント:
その話題、大きな話題になっていますね。イギリスも海峡をボートなどで渡ってフランスから毎日のように多くの移民がやって来ます。
なぜフランスではいけないんでしょうねぇ。
その為にブレグジットに賛成した人も多かったはずですが、受け入れ歓迎姿勢の人も結構いるようです。
そういえばミュンヘンに行った時、ミュンヘンには移民歓迎の旗が沢山ありましたが、リンダウからミュンヘン行きのバスでは警察官が乗ってきて全員のパスポートを調べた時がありました。その時は所持金が少ないということで黒人の旅行者が連れて行かれて驚きました。イタリアからスロベニアに入る時も全員パスポートチェックを受けました。つい数年前のことなのですが。
ベラルーシ入りは本当に厳しいですね。リトアニアからの列車は国境で長時間停車し、パスポートのチェックも一人一人長かったですし、職員の顔が怖かった(気がしていた)のも良い思い出です。なので、そんなにベラルーシに移民がいたのか、というのが今回の騒動の不思議でした。ちなみに私もリトアニアに帰って来た時は列車の入国スタンプを押してもらってホクホクしました。
話は移民に戻りますが、なぜムスリムの他の国はムスリムを受け入れないのだろうと、単純に不思議に思います。カレッジで同じクラスだったイラン人は「イスラム教では、人に施しを与えることはムスリムの中ではとても大事なことだ」と言っていましたが。ちなみに、ここいらにいるムスリムは、若い女性でさえもとても高い車に乗っている人たちが多いです。今は有色人種に一言でも差別用語を言おうものならすぐに警察沙汰になるので、貧乏都市リバプールでは一触即発の空気が流れることもしばしばです。
島国に暮らしている身としては国境を超えるというのは憧れに近いようなものです。
旅行した時にバスで国境を越えた時は感激でしたが、困ったのはお金です。
片田舎ではカード使えない所がその当時はありました。
ツアーだったので、あちこち観光しているうちに、また国境を越えてふりだしの国にも戻ったのでその問題は解決しました。
海に囲まれているので移民や難民がやってくることは今の所ないので安泰です。ノーテンキな国民ですから近隣国からの難民が押し寄せてくるという事態を国がちゃんと想定しているのかどうか気になります。
こんにちは、かまくらさん。
ギッチギチに人を乗せたボートで海峡を渡ってイギリスに行こうとする人たちの映像をよく見かけますね。私もどうしてフランスじゃダメなのかなと思ってました。イギリスの方が手当が厚く、働きやすいとされているようですね。そうですよね、確か脱EUは移民問題も大きな理由の一つでしたよね。
ベラルーシはどうやら率先してEUへ移民したい人々を集めてポーランドへ送り込もうとしているという話です。その人々を武器にEUと交渉して制裁を解除してもらおうとしているらしいです。
宗教は難しいですよね。同じ神様でも「私たちの信仰が一番正しい」と仲違いしたりしがちですから。
ああ、わかります、リッチなムスリムの移民の人たち。うちの大学に来ているムスリムの学生さんもブランドもので固めていたりとかなり羽振りが良いです。
こんにちは、紫陽花さん。
そうですよね、陸続きで行けるところでお金が違うとか、最初は想定していないですよね。
日本は移民に結構冷たいですよね。確か入管で亡くなった人もいましたよね。
日本は海に守られていますよね。やっぱり海を越えてまで、というのは相当な覚悟が必要な気がします。
何が「いい」ことなのかさっぱりわかんなくなったこの頃だと思われませんか。
国境を越えることを”自由”にしたEU,初めそれに気が付かなくってフィンランドとノルウェーの国境で(監視ボックスに誰もいなかったので)わざわざ車を降りて事務所へ、そこにも誰もいなくて「こんにちわー」って大声で叫んで呼び出した職員に「もうスタンプ要らなくなったの、シェンゲン条約でね」と言われて赤っ恥。
あれは新鮮な感動でありましたが今朝の報道によると中部ヨーロッパは、いや中部と限らずヨーロッパ全域でコロナデルタ株の感染者数が激増とか。ラトビアはあげられていませんでしたがドイツを始めオーランドチェコなどのきなみ。
さぞや陰鬱なクリスマスになるであろうとお見舞いもうしあげます。ミサの入場制限なんて洒落にもなりませんものね。
こんにちは、さんさん。
それ、思います。何が良いことなのかの価値観がだいぶ変わりましたね。
今日はラトビアの独立記念日でした。花火もなし、何もなし。救いはテレビで放映された歌でした。歌がこの国を支えているんです。日本のカラオケのように歌詞を出して、「私たち、この歌詞を頼りにみんなが歌えば一緒になれる。だからテレビの前で一緒に歌いましょう」ですよ。何を昭和なとか思わないでください。一緒に歌えばみんなで物事を共有しながら乗り越えていける、そんなラトビア人の根底を見たような気がしました。
リガに居た時、って書いて恥ずかしくなった。たった一週間の滞在に「居た」時もない物です。
ともあれ10月だったのに花屋で買ったのではない野の花の花冠をつけてホテルのロビーを歩く乙女達,そうあれは女の子などと呼んではいけない気品に満ちた美しさを纏っていた乙女達でした。
そして何か合唱の集まりでもあるのでしょうかあちこちで小声の歌声が上がる。
管理人さんが仰せあり通りもうそれは「歌が好き」なんて生やさしい物ではなくてこれがあるから生きていけると言う想いと言うか気迫がこもっているように思ったのは出かける前にラトビアの歴史を勉強していったせいでしょう。
日本だって終戦後は苦しかったけれど征服者も非征服者を奴隷並みに扱うことをよく知っている歴史があるところでドイツ、ソビエト、ドイツの前にはポーランドも攻め込まなかったでしたか、”国土は軍靴で蹂躙されても国民の心は奪えない、その心は歌とともにあるそんなことを考えていましたっけ。今まで経験したことのない重い旅でした。あまりに美しかった少女達のせいでめちゃ贔屓になったこともあるのかなぁ。
こんにちは、さんさん。
1週間の滞在でとはラトビアについて深く思ってくださったことがまず、ラトビア人が知ったらとても嬉しくともうと思います。きっと合唱祭の時期だったのでしょうね。歌はラトビア人にとってかけがえのないものです。どんなに辛い時でも歌って乗り越えよう。ああ、コロナで合唱祭とかができなくなっても、合唱の練習ができなくなっても、テレビの前でみんなで歌って一つになりましょう、という呼びかけには感動しました。
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