毎朝、いや違いました月に二回は朝2時に起きて、いや起こされて1時間国家安康祈願の余分な読経をして薄い涙粥の朝飯を食べてようやく迎えられたお寺は私の目から見たらまさに理想。山の裾を段状に切り開いてコンクリートの土留じゃなくてひと抱えもある自然石を積み上げて作った上に江戸時代に建てられた本堂、そして鐘楼。境内に入ってゆく石段も同じ自然石でしかもなんと境内には1日千トンとかいう天然湧水が湧き出している。
檀家さんがわずか70軒しかいないで寺の維持管理はどうするとか周りから意見を言われましたがもう私は一目惚れ、なぜ先住職がなくなってからずーっと空き寺だったかなんて考えもしなかった。
70軒でこの立派な寺、バランスが悪いじゃんて考えたのは入ってしまってから、要するに昔の地主さん、金持ちだったんですねー。戦後占領政策で地主は土地は取り上げられて小作と地主がひっくり返った。それだけならまだいいんですが”地主の寺”という位目というか反感があって田舎の農村では甚だ以って居心地が悪い。何しろ檀家さん以外の住民が口きいてくれない。
戦後四十年経ってもまだそんなだったなんてこりゃ私の歴史の成績が悪かった報い。おまけに僧堂(ボーズトレセン)では問題の答えは自分の頭、いや自分の体から出る答えを持ってこい、って聞かされ続けたのにいざ外に出ると”自分の頭”で考えちゃいかん、本山の宗務課が「こういう方向で導きなさい」って示す方針に従って話せよ、って。なんじゃそれ?
それでも十二年頑張りましたですよ、でもって新築以来百五十九年は経った屋根の瓦の総葺替え、雨漏りがひどくなって大工さんにこのままじゃ建て替えも考えに入れなくちゃなんて脅かされてありとあらゆる手ズルを辿って寄付を集めて葺き替を実施。でコレでしおさめってオーストラリアに来たってお話です。
え?オーストラリアで何してたって?
数百万しかが全財産で知らぬ土地で一家三人飯を食うことが最優先。幸い手に入れられる範囲で売りに出ていたバナナ畑(バナナは生産性が低いので山の斜面で作られる、箱詰めの作業小屋があればあとは2本の足と手だけで仕事ができる)と本当の小屋。まさに開拓移民の姿でしたなぁ。おかげでその頃日本はバブルの真っ最中「日本人てのは高級車に乗ってオーストラリアの土地買い占める奴等」かと思っていたけどあんたは違うねぇ、なんて言われましたっけか。営業かボーズになって上がりがよその国で百姓、めでたしめでたしあの武蔵野の夕暮れの中で一人小さな焚き火を灯した夢が叶いました。
下の写真はユーカリの古木です。
オーストラリアの開拓時代、まだ牧場を開く金もない頃はひたすらに森のユーカリを切り倒してはイギリスに送った、おかげでユーカリの古木ってのは少ないのですがこの木は地上低いところで枝分かれして材木の価値がないと見られて命拾い。こんな枝が落ちてくるんですから電線はおろか人だって当たれば人死が出る、ユーカリももうすこし考えて枝を伸ばせばいいものを。
7 件のコメント:
檀家総代になった近所の昔からの農家、名誉より事あるごとの支援が大変と嘆いておられました。
お葬式離れ、お墓離れが進んでいるのもあってお寺さんも檀家の数が減って多分大変になってきていることは想像できます。さんさんが昔営業職を経験されていたことが役にたってお寺に貢献出来たことは間違いないです。
オーストラリアというと自然災害が少なそうで他国からの侵略もなさそうで安心して暮らせそうというイメージです。でも住んでみないと分からない点もあるものなんですね。
ユーカリといえばコアラの木、種類は違うのかもしれませんが消臭・抗菌という言葉が浮かんできますが大木になるとは想像も出来ませんでした。こちらで植木鉢で売っているものも地植えすると大木になってしまうのでしょか。
さんさん様、お寺さんすっぱり辞められたってことなんですね。行間にはもっともっと大変なことがあったんだろうなぁ、オーストラリアに簡単に行かれたわけではないでしょうに、ワクワク楽しい気分になってしまいます。嘉兵衛の物語、どんどん進む感じとスピード感とリンクしますね。5巻はホントに主人公がいません!
ユーカリの木、こんなになるんですね。やはり知らないことばかりです。
紫陽花さま
仰せあります通り寺という施設とそこに暮らす人間の使命は何のかのと言っての結局は人の死とそれを悼む人の心に大きく依存しています。
人がいなくなれば日本ではコンビニとどっこいの数が存在するとか言われるお寺も自然淘汰される運命にあるといえましょう、まぁそう単純ではないでしょうが。
営業職、平たく言えばセールスマンの経験は目の前にある問題を説得しようとする相手の目から見てどうなのか、どのような利点がありそれとかかる費用のバランスはどうか…と複眼的に物事を見る目が養われたことは間違いないでしょう。
反面嫌だったのは本山からの縛りと盲信したがる人に乗っかって誘導したがる業界内の空気、何のために頭剃ったのか?という根本的な疑問に直面いたしました。
だからオーストラリアで百姓になってもメシの種にボーズであることはやめましたが生き方としての僧であることはやめたつもりはなく80の今でも剃髪のままであります。
昔教えられましたっけ「迷った時は頭をなぜろ」ってね。
megmegさま
まぁオーストラリアの移民局が多少誤解もあったんでしょうがきちんとトレーニングを経た”僧侶”を専門技術職のカテゴリーに入ると考えてくれたことと、それまでの白豪主義では世界から反感を買うだけだと慌てていたこともプラス要素だったと思います。
基本、移民後きちんと暮らしていける手に職があり生活保護なんかにぶらさがるつもりがなければオーケーという感じでした。しかし日本の警察に行って無犯罪証明書ってのをもらってこいと言われたあのには目ぇ白黒でした。幸い詐欺も人殺しも関係なくケーサツのご厄介になったのはスピード違反が二回だけでしたがね。
まぁ新しいことに向かってゆくには仕遂げることで手に入れられるものとそれに伴うリスクをきちんと秤にかけられることに尽きると思います。
北アルプスは人気がある山ですがあの雪渓をテクテクひたすら登ってゆく道もありますが一歩間違えれば即遭難の北尾根コースなんてのもありますので。
さんさん様、菜の花の沖、6巻に入りワクワクです。新しいこと、ものに柔軟に対応できる人間は素晴らしいですね。そういう人が昔むかし大陸を移動移動したのかなぁ、さんさん様もそのお仲間ですね。管理人さんも!
じーっと動かないことで安定する生活もあり、いろいろな人間が必要だということがしみじみ感じます。
コロナで受診できないとか、困りますね。
megmeg様
おお、とうとう最終章、なんかロシアの歴史ばっかりが滔々と語られて「嘉平、どしてるんだよっ」なんてまだるっこしい気になりますが読み終わると露日交渉史の背景解説なんてのはあることはあるんでしょうが学術論文ばかり、これほどコンパクトにすらっと解説した文章にはまず他ではお目にかかれない、いよっ大将なんて読後感、さすが大作家ですなぁ。
たしかに水稲耕作は単位面積あたり養える人口が小麦や大麦と違って桁違い、一所懸命という言葉通り一つところを命懸けで守る、どこへも移動しないという人が選抜されてニホンという人間の集団ができたのではないでしょうか。
アフリカを出た(そもそもなんで住み慣れたアフリカを後にしたのだろう)ニンゲンは今の中東で北に登った人たちと東に向かった人に分かれたそうです。
北に向かった人たちは災難だった、赤道化の日差しの強いところで皮膚癌にならないために皮膚にメラニンが多い人だけが選抜されていたのに北に向かうと逆にそのメラニンが邪魔して北の弱い日差しでは骨を作るビタミンD を作る紫外線が吸収できない。今の中東あたりからトルコあたりまでで発掘される化石人骨は皆皮膚にメラニンを作るDNAをもっているそうです。「ダメ、お前。北へ行く資格なし」って言われたんでしょう。
で東へ行った連中がインドあたりで野生のイネを見つけて耕作したがこれが大当たり。アジアの子沢山、励んでますねぇ、そして北の方のモンゴロイドとも混ざってチョコ色がさらに薄くなって黄色になった、と。
太古の昔習った人類学の知識、よく覚えていたなぁ。
さんさん様、読了です。やはり人と人がわかり会えないなんてことはないんだなぁ、相手を思いやる気持ちだなぁ、今もめているところも諦めずにテーブルについてほしいものです。
どうして動いたのか、人はどうしてここではないところに行きたくなるのか?面白いですが、自分でも説明できない何かがありそうです。
司馬遼太郎の本を読むことになるとは!自分に驚きました!ありがとうございます。
コメントを投稿