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2023年3月26日日曜日

友人の誕生日パーティへ行く

これがぴえちをトレーナーさんに預けようというきっかけであった。

親しい女性の友人が50歳の誕生日パーティーに招いてくれたのであった。それはCēsisという街にある小洒落たホテルでということだったので、そのホテルに泊まってパーティに参加するわけである。ラトビアではapaļa jubilejaと言って50歳とかの誕生日を盛大に祝うことが多い。レストランを貸し切ってとかサウナ付きの一軒家を借り切ってとかそんな感じである。今回の友人のパーティもそんな感じで行ってみると

結婚式かいな?

的な豪勢なものであった。参加者総勢80人でバンドは入るは参加者の中にはロングドレスもちらほらとみられたわけである。

どうみても結婚式の二次会にしか見えない。

こういう丸いテーブルに座らされるとどうしても誰かと話さないといけないのがパーティの辛いところである。日頃のラトビア語学習の成果がありありと出てしまう。サボっていたのがバレバレなのである。どうしてラトビア語かというと、大抵の人は英語で話すのは話せるけど面倒臭いからである。ラトビア語で話しても流暢でなければ面倒臭いことに変わりはないが、変な外人と話してみようというハードルはだいぶ下がるからである。大抵の場合、女性は割とこの変な外人の相手をしてくれることが多い。だが、男性はほぼダメである。面倒臭感を前面に出してくる場合が多い。

開始時間は夜の7時で、ほぼ全員が泊まりなのでパーティは夜通し続く。だが、流石に管理人夫婦は11時ごろに退散したのであった。翌朝の朝食時に聞いた話では12時にパーティ会場を閉じた後、友人の泊まっている部屋でパーティで飲み尽くされなかったシャンパンで朝の6時までワイワイしていたということであった。いやはや、素晴らしい体力である。

ちなみに管理人50歳の年はパーティをやってもそんなに知り合いもいないので、プレゼントに車を買ってもらったのであった。

4 件のコメント:

さんさん さんのコメント...

そうなんですよー、三十年英語社会に浸かって話す能力もそこそこに着いてきてもやはり管理人さんのおっしゃる’面倒臭さ’感は最後まで取れずその面倒サッを押し切って下手なジョークなんぞも入れてイッパシの顔すればす
ほど 後でどっと疲れが出る。
やはりその辺が離婚してでも死ぬときゃ日本語で。。。と思った理由でありました。
末期に薄れゆく意識の中で必死に英語の単語を思い出して構文を考えて遺言を捻り出しても何処かで「ダメだなこりゃ、言ってることがわからん」何んて声が聞こえたら嫌じゃありませんか。 おまけにオーストラリアの田舎の病院には体重八十キロ百キロの鬼でも押さえつけられるオバ(ア)さんナースばかり
「若いナースっていないの?」と聞くと「シドニーかメルボルンの都会の病院に
行きな」ですと。

紫陽花 さんのコメント...

管理人さん こんにちは。
花をラッピングもせずに手渡す素朴なイメージに比べると結婚式の二次会のような雰囲気の中で盛大に50歳のお祝いをする、というギャップが面白いです。でも50歳で祝うなんてちょっと早すぎない?っていう感じです。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、さんさん。
おば(あ)さんナースの方が手慣れてて点滴とか「スッと」入りますよ。
日本の病院はサービス満点ですからねえ。看護師さんとか働きすぎ気を使いすぎで大変なんじゃないかと心配になります。
言葉はなんだかんだ言ってコミュニケーションの障害ですよね。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、紫陽花さん。
そうなんですよ、全く私も同じ感想です。いや、いくらかかってるのかよくわからない。そんなに豪勢にする必要のあるものかもよくわからないですよね。
50歳というのは昔からの風習のようなので、寿命が短かった頃の名残かもしれません。