明日の31日はへろの命日である。
こうだったらなあ、とあり得ないことを想像してしまう管理人である。
へろが生きていてくれたならぴえちは我が家にこなかっただろうに、何となく、2匹一緒に遊んだりしてくれたらよかったのになあとか思ってしまう。へろ兄ちゃんは強面だけどきっとぴえちっちを庇いながらうまく遊んでくれただろうになあと思うのである。
父の残してくれた遺産の一部をサマーハウスの購入資金に当てたのに、このサマーハウスへ父を連れて来たかったなあと思う。きっと気に入ってくれただろうにと思う。時系列的に不可能なのに、である。
どうしようもないかなわぬ夢なのである。
9 件のコメント:
人生は、、、などと書き出すと大抵後には決まり切ったせりふが続きます。
「あれができなかった、これもしたかったのに」、あれもこれもとネガティブ面を数えると誰でも数えきれないほど。
反対に「出来そうにも無かったけれど、、、」と結果オーライになった出来事、ほら管理人さんだって冬の休暇にスペインに行くとかどうとかおっしゃっておられた時同じようなことを呟いておられていたような。
ほんと晩御飯のメニュからこの人と結婚するかしないかまで大小取り混ぜて人生選択と決断の連続ですよね。ただし後から振り返って悔やまないこと、これ大原則でありまするです。
もう1年経つのですね。。
へろくんとぴえちお嬢の写真を画像モードにして
一緒にハリネズミ探しをして咥えて見せにきている姿を
思い浮かべています。管理人さんの小さな悲鳴まで聞こえてきそう。
管理人さん こんにちは。
去年の夏休みはヘロ君の病気との闘いの日々だったのですね。ワンコグッズを全部捨ててしまったと知って”次”は無いと残念に思っていました。次のを考えては?、とはとても言えませんでした。別れあれば出会いあり、出会いあれば別れあり、人生はその繰り返しですね。
これは禁句かもしれないけれど使い古されたセリフではありますが「逢うは別れの初め。。」とて、、、このセリフ
使う時ところによってすれっからしのジジィの胸にもじーんとくるものを秘めておりますですなぁ。
猫と違って、何故猫とは違うんだろう、という疑問にはお答えできませんがニンゲンより短い一生を持つ犬を飼った瞬間から「いかに愛していてもこのコとは
いつか別れる日が来ると思い極めなければいけない、私的には自分の気分と関わりなく飼い主には忠誠を尽くす犬よりは気が向いた時”だけ” 膝に乗ってきてそのうち「もう撫ぜられるのも飽きた』と身を起こして庭に出ていく猫の方がこちらの心の負担もすくないような気がして「勝手にしやがれ」などと呟いて心から払い除けることができて気が楽です。
こんにちは、管理人さん
私も、大切な存在を亡くし、時々、あーすればよかったなど、かなわぬ夢をいろいろ思い巡らします。自分を責めないように気をつけながら、私は、これからも後悔したりいろいろ思い巡らすのでしょう。なぜなら、大切な存在だったから。でも時間とともに思い出す頻度も少なくなるかもしれません。
天国で、管理人さんのお父さんとヘロくんは一緒に遊んでいるかも?!
こんにちは、さんさん。
後悔しているわけでもなく、なんていうか時系列的に不可能なことをつい望んでしまうのが何だかなあという感じです。
逢うは別れの始まり、その通りですね。特にわんこはそうですね。わんこに看取ってもらうわけにも行かないですしね。今日はへろに蝋燭を灯して思い出話をしたいと思います。
こんにちは、ひまわり畑さん。
一年です。去年の今頃はへろが夏の名残を一緒に持って行ってしまって、あっという間に寒くなりました。今年は新入りのぴえちに暖かさを残しておいてくれているようです。なのであと2週間ぐらいはサマーハウス生活を続けられそうです。
こんにちは、紫陽花さん。
へろを失った後は、何をみても悲しくて全てを捨てました。新年に友人たちの集まりで可愛いわんこと触れてああやっぱりわんこが私たちの人生には必要だと思いました。
こんにちは、ゆのみさん。
そうですよね、誰にでも叶わぬ夢はあって、考えても仕方ないけれど考えてしまうものですよね。
大切だから忘れたくないというのもあるんでしょうね。
そういう大切な存在があるだけでも幸せで、これからもっとそういう大切な存在を増やしていくのが本来の幸せなのかもしれませんねえ。
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