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2024年4月13日土曜日

卒論

今年は歯学部の卒論テーマが足りないので歯学研究科以外からも協力してくれると大変ありがたいです、というので、まあ、一人ぐらいは受け持ってもいいかと卒論テーマを提案したら二人引き受けることになってしまった管理人である。歯学における分子生物学や遺伝学の重要性を訴え続けてきた管理人としては、とりあえず一部の学生には届いていたんだなあと、少し嬉しく思っているのであった。

卒論と言っても、テーマを決めてそれに関する論文を集めて読んで総論をまとめるというような文献ベースのものである。

歯医者や口腔外科になるような学生さんたちにとっては分子生物学も遺伝学も「これ必要なんですか?」と疑問に思う分野らしく、毎学期に一定数は「必要ないと思います」とアンケートに答えてくる学生がいるぐらいである。だが、もう歯を削ったり矯正をしているだけでは将来的に歯医者も成り立たなくなってくる。最近は歯の発達に関する遺伝子の研究が盛んになってきていて、近い将来薬で歯を再生させることができるような研究も出てきている。そういう、近未来を見据えた技術の文献レビューをやってもらおうと思っている。世の中の技術はどこへ向かっているのか、それが実現しそうだとなった時に少なくとも知識さえあれば臨機応変に対応できるものである。そんな助けになる卒論にしていきたいなあと思う管理人であった。

7 件のコメント:

紫陽花 さんのコメント...

管理人さん こんにちは。
卒論のテーマって自分で考えなければならないものだと思って四苦八苦して決めました。友達はメンターからこういうのはどうか、と言われたをテーマにしたと知ったのは提出が終わってからのことでした。その論文は各学科の卒論紹介の卒業記念論文集に選ばれて掲載されていました。そういうもんなのだ、と妙に納得したのを覚えています。もちろんテーマは提案されたものだったのでしょうが、内容が優れていたからにほかなりません。でも卒論と聞いて、こんなことを思い出すなんて自分でも意外な感じがしました。

さんさん さんのコメント...

卒論、ああ今思い出しても悪夢のあの刻のこと。
テーマを決めて図書館で論文たくさん借り出してあとはそれ読んで思うこと書くだけ、大学教授が仰るんだからそのとおりなんでしょうがコーヒー淹れるんじゃないんだからそんな他人様が書いた思考の上なぞりじゃぁいやしくも「卒論」とは言えないんじゃないか、と思ったのが苦難の道を歩むことになった始まり。

ヨーロッパ勢力の到来とそれまで続いた武家文化と資本主義の勃興に関わる明治維新と表題を決めたのはいいけれどそもそも明治維新を今まで真面目に考えたこともなかったヤングさんさんには今にして思えばこれは無理の一語であったようです。
しんぎんすること数ヶ月、教授だっていかに馬鹿馬鹿しい殴り書きであっても一応は卒論、中には渾身の論文もあるかもしれないと提出期限はずいぶん早かったように思い出します、確か10ヶ月くらい前ではなかったかと。

歴史を読むとこのような大変化はフランス革命のようにたくさんの血が流され多くの命が失われた一種の虚脱感の中で成立するもののようですがなぜ日本だけは(ほとんど)無血のまま成功してしまったのか。

いやぁ苦労しましたわい。六十年経った今でも思い出すと身の毛が逆立つような感覚!

さんさん さんのコメント...

今思えば人生八十余年生きた体験からするならば上記のテーマに沿って一応「論文」らしきものを原稿用紙4、50枚に述べることはさほど資料などなくても誤魔化すことは難しくないように思えますが何しろあの頃私は若かった。
いかに四角かったか、今思い出しても我ながらゾッといたします。さん

Mikija さんのコメント...

こんにちは、紫陽花さん。
おおー、素晴らしいですね、ご自分でテーマを決めたなんて。
卒論って意外に人生の中の一大イベントでずーっと後先まで細かいことまで覚えているものだと思います。意外に大事なものなのだと思います。そう思うと、それを指導するのは結構責任のあることなのかもしれないと思ったりもします。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、さんさん。
ほーら、さんさんも卒論のことを結構詳細に覚えていらっしゃる。大学生という若者が学生生活最後に挑む論文ですから、それは鮮明に記憶に残るものです。そのヤングさんさんがいかに四角だったかということをきっちり覚えているのですから。社会へ出るとなかなか色々調べて論文を書くなどという行為がなくなります。調べて考えて考察してそれを一つにまとめたものに書き上げるのは、大学最後の年にはふさわしいものなのかもしれないですね。

さんさん さんのコメント...

”仰せの通り”教授のお導きにてあのバカ高校卒業生だった若造もこんな文章を綴ることができるまでに成長致しましたぞ、と卒論担当の教授に語りかけるような気持ちで、今にしてみれば教える教わる立場を超えて”私”という一人の若造が4年間で習得した渾身の力を込めて「どうでしょう、おかげさまでここまで来ることが出来ました。どうかご評価お願いします」と教授に語りかける気持ちで教授の机の上に論文?を置いた日のことは六十年経った今でも覚えております。
例えは悪いですが初めてのエッチと一緒で今までの子供がこれを契機に大人の世界に顔を出したような気持ちでした。忘れられるものですか。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、さんさん。
そうですよね、卒論は本当に忘れられない記憶になりますね。鮮明に覚えているものですよね。確かに子供が大人の世界に踏み入れたというようなものでしょうか。よーし、これで世の中の一つの謎を解いてやる、ぐらいの意気込みもあったような気がします。