管理人はとある医学雑誌の編集者をやっている。これは全くのボランティアで一円にもならない。普段は医学雑誌のテクニカル編集者と呼ばれる事務方の人たちが「こんな論文が当雑誌に投稿されたんですが、これ、査読に回しますか?それとも拒否しますか?」とか聞いてくるので判断したりとか、査読に回した後に査読者の意見が別れた時の判断をするとか、そんな感じである。査読というのは論文をその分野の識者が読んで「ここを直せばOK」とか「これはスンバラシイ論文だ」とか「私たちの医学雑誌のレベルに達してないので拒否」とかを判断することである。査読は通常複数人の識者によって行われるのでよく意見が分かれたりもするのである。
そんな中、その医学雑誌がある賞の審査員を勤めてほしいと依頼してきたのである。それももちろんボランティアである。でもまあ、ちょっと興味があったので引き受けた管理人であった。その賞とは、大学院生か博士号をとってポスドクという状態の人に向けたもので、学会へ行く費用をあげましょう、というものである。
医学系の学会で発表するのはお金がかかる。
欧州内では日本での国内旅行に近い感覚ではあるのだが、格安航空券を使っても宿代も発生するし何しろ学会の参加費が数万円という結構な額になるのである。そんな若者たちに学会参加費用として14万円ほどをそれぞれ2人に賞としてあげましょうというものである。実際一人一回の学会参加費用はこの金額ならようやく全部を賄えるのかなあという感じである。
応募には履歴書、推薦書、発表内容の要旨、などが必要である。
あらかじめ事務方が一時審査をしたのちの6人を精査して点数をつけるというのが管理人の役目である。色々な考え方があると思うのだが、管理人は研究の内容のインパクトと完成度を重視したのである。一時審査を通過してきた6人の中にも、おやまあ、と思う業績の人も居た。履歴書を盛ってる系でやたらと論文数が多いのだがよく見るとそれらはちゃんと査読された論文ではなく過去の学会参加の要旨とかそんな感じである。
推薦書はいろいろ面白く読ませてもらったのであった。推薦書はその学生さんやらポスドクやらの指導教官が書く場合が多いのだが、その推薦の熱意は本当にさまざまで、大きな組織の大ボスクラスになると「私が推薦します」ぐらいのことしか書かれていない。推薦文よりも「私はこれこれの組織のボスです」とかいうボスの自慢が大半を占めている場合もあった。こんなすごい私が推薦してるんだから解りなさい的な高圧的な推薦状である。普通は「彼はものすごく熱心に研究に励んでいて、彼の研究内容な革新的なものです。彼の熱意ゆえに私は彼の指導をとても楽しんでいます。ですから彼がこの学会に参加できたら色々な研究者と交流を深めることができて彼の今後にとても有意義なものなるので、是非とも旅費をください」みたいに書くものである。実はこの推薦状の内容も審査の15%ぐらいを占めるポイントなのである。
管理人の他にも2人の審査員が点数をつけて、最後は編集長が決める、ということだったが、管理人一押しのイタリアの若い女性が賞を勝ち取ったという知らせが今日来て、ああ、良かった、と思ったのであった。
4 件のコメント:
後押ししていた人、もしくはチームが🏅するのは自分自身が勝利するのと同じくらい、あるいはそれ以上に嬉しいものです。
ワセダに入って優勝がかかった早慶戦に一点を争って競り合った末に勝利した時の嬉しさはまるで自分が出場したごとくに飛び上がって喜んだものです。
あれから永えい半世紀以上時間が経ってもまだあの嬉しさは胸に残っています。
こんにちは、さんさん。
早慶戦とか盛り上がりますね!推しの勝利は本当に嬉しいですよね。
今回の審査は結構面白かったです。こういう審査に参加してみると、次に誰か学生さんなどが何かに応募するときの注意点が浮き彫りになって良かったです。
管理人さん こんにちは。管理人さんのご性格から判断して色眼鏡を通してではなく純粋に学問的な観点からアプローチされたのではと思います。やはり良いものは良いということですね。
こんにちは、紫陽花さん。
そうですね、単純にそのポスドクなり学生さんが筆頭著者になっている論文がどのくらいの割合でどんな雑誌に掲載されたのかとか、あとは熱意ですかね(笑)。
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