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2025年11月8日土曜日

将来

 これまでずっと将来を良くするためにどう仕事で頑張ったらいいのかを考えて人生の大半を過ごしてきた管理人である。ただ、仕事を続けての将来は実は永遠には続かないので考え方を改める必要があると気づいた管理人である。

どうやって業績を上げていこうかということを考えるのは実は簡単である。やっていることの方向性さえ間違っていなければただひたすら良しと思ったことをすれば良いだけである。だが、今管理人が直面しているのは引き際を考慮した数年の計画である。ご存知のように管理人は還暦を過ぎている。ラトビアの年金がもらえるようになるのは65歳からである。まあほぼ日本と同じ感じである。なので65歳までは働こうと思っている。なので、どう65歳を迎えるか、そのあとは何年ぐらい働こうか、というような漠然としたものではあるが主に金銭的なシュミレーションをしているような状態なのである。退職年齢は定まっていないが、まあ、70歳まで何らかの形で働けたなら十分である。

高校時代からずっと好きな言葉がある。
「予定は未定であり決定ではない」

確かに予定はどんなに楽しみにしていたものでも憂鬱になるような嫌なものでも必ずその通りになるものではない。だから楽しい予定は実現に向けて努力するしかないし、嫌な予定は先延ばししなが迂回策を撮るのが最良だと思っている。どんなに緻密な計画を立ててもその通りにはならないかもしれない。結局はその場その場での臨機応変な対応がものを言うのである。まあ、なるようにしかならないと言うのが本当のところである。

2 件のコメント:

紫陽花 さんのコメント...

管理人さん こんにちは。管理人さんより年上のわが世代は管理人とはレベルの違ういかにしたらピンピンコロリでこの世とオサラバ出来るかということが話題に上ります。でも身近な事例を見ているとそれは大変難しいことであり本当になるようにしかならないということが分かってきました。こうはなりたくないと思っていても望まない方向に行かざるを得ないことがあるのが現実です。抽象的過ぎますが考えすぎず臨機応変にその時その時に決めていけば良いのではないかと思うこの頃です。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、紫陽花さん。
美空ひばりの「川の流れのように」が脳内に流れてます(笑)。結局はなるようにしかならないと言うことなのだと思います。最近ネットフリックスで日本のドラマ「最高の教師」と言うのを一気見しました。そのドラマではやたらと「向き合う」と言う言葉が出てきて疲れてしまいました。同時に私はもう何にも向き合いたくないなあと思った次第です。