本日はラトビアの独立記念日である。
例年ならミリタリーパレードが行われ、花火も打ち上げられるのだが、今年はコロナ禍で非常事態宣言が出ているのでパレードも花火もない。その代わりに、軍用機が低空飛行で飛ぶ予定だったらしいのだが、天候が悪くてこれも中止となった。
ひっそりとした独立記念日である。
管理人家ではとりあえず、犬の散歩にアイスホッケーの試合の応援グッズの一つであるラトビア国旗デザインの帽子を被って歩いてみた。これで独立記念日に敬意を表したこととした。犬の散歩が終わったら、これまた敬意を表してちょっといいワインを開け、ちょっと良いレストランからデリバリーを頼んだ。非常事態宣言下なのでレストランで食事はできないのでデリバリーである。リガではWoltとBoltという二つのサービスがよく見かけるデリバリーサービスである。Woltはフィンランドの会社で、Boltは前身がTaxifyというエストニアのタクシー配車サービス会社で最近メニューデリバリーを始めたのである。Taxifyはエストニアの高校生が2013年に立ち上げた会社である。すっかり成長してリガではタクシーを呼ぶ際に欠かせないアプリになっている。
コロナ以前では、管理人夫婦はあまり外食をしなかったものである。レストランで食事をするのは年に2−3回ぐらいであろうか。ところがこのコロナ禍で食事デリバリーが発達して、かえって気軽に頼めるようになった。というのも、レストランで食事となると、やっぱりワインを頼みたくなるが、そのワインはその店でおそらく一番利益率の高いものである。それが、デリバリーで食事だけ自宅へ届けてもらえれば、自宅にあるワインを飲めば良いので管理人夫婦にとってはコスパが大変良いのである。交通費もそうだ。二人で出かけて帰りはタクシー、なんていうのに比べたら、配達員にチップを上乗せしてもお釣りがくる。出かけるのが面倒というのもある。料理が運ばれてくるならそれに越したことはない。
へろに留守番で寂しい思いをさせることもない。いことづくめの料理デリバリーで、独立記念日を祝った管理人家であった。
3 件のコメント:
独立、この言葉に秘められた燃えるような希望とその裏に隠された恐怖、2度も独立記念日を持つラトビアの人々の心が想像されます。
自由が平等博愛の上にくる最高の価値とした昔の人々の思いが…
町中に海老茶に白い横筋の国旗が溢れたことでありましょう。
しかし記念日の晩餐が自宅でのデリバリー、そりゃテーブルクロスも出したでしょうし銀の燭台のろうそくも灯りワイングラスに反射して、って。
でも外のご飯を食べに行く、いやマクドじゃないれっきとしたレストランに予約して出かける。
何を着ていく何を履く、そこから色々想像して準備するあのワクワク感、デリバリーでは味わえない外ご飯の楽しみなのに。
さすがは科学者、と感心いたしました。
ともあれソビエトのくびきからの独立、おめでとうございました、しかし独立後も居残ったロシア人たち、まだあのままですか?追い出すこともできないだろうし…
こんにちは、さんさん。
いや、全くその通り。独立の裏には恐怖があります。
今日の独立記念日は最初の独立記念日で1920年の独立を祝うものです。この独立記念日の一週間前ぐらいから皆がラトビア国旗の柄のリボンを胸につけたり、数日前の「熊裂き男デー」というその当時の戦争で戦った人々を讃える日があるんですが、そんな感じで愛国ムードが一気に盛り上がります。
レストランに行ければよかったのですがね。
2回目の独立後も残ったロシア人たちはもう結構なお年になっています。追い出すということはないですね。若い世代は両親がロシア人で家でロシア語を話していてもちゃんとラトビア語を話せる場合が多いです。そうして同化して行ければなんの問題もないと思います。
そうですか、
戦後七十年経っても未だに「俺たちロシアはなぁ」って上級国民ヅラするのかと誤解していました、すみません。
ラトビア語を話しラトビアの風習に馴化しているのならそれはもう貴重な人材だったでしょうし、年寄りを慣れ親しんだ土地から追い出すなんてそれこそなんとか紛争の元であります。
ただ時間軸をとって考えるとそこに一抹の気がかりが、もしかしてですよ「ラトビアの地に取り残された我が同胞を救え」なんてデマ飛ばして”人道”の名の下に他人の国土を踏みにじることが昔から何度も起こりましたし…
ほらことわざにもいうじゃないですか「理屈と膏薬はどっちにもひっつく」って。なまじ外交史など学んだばっかりに個人では素晴らしい人が国家という集団になると悪魔も真っ青な行動をすることを嫌という程学びましたので。
信じることと警戒すること、人生の二大難問ですよね、男女の間を含めて。おまけにそこには永続する正解なんて薬ほども存在しないし…
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