管理人は英語が苦手で、大学受験の時には二次試験に英語のない大学だけに合格した、という経歴を持つのである。そのころの管理人は、
「理系にさえ行けば、一生英語とおさらばできる」
と本気で考えていた馬鹿者であった。
おさらばできるはずもなく、ただ、英語の論文は読まなくてはならなかったが、喋る必要性はあまりなかった。なんとなく拾ってもらった大学の助手の職も一年でちゃぶ台返しの退職をした。そうするともう就職口はそう簡単にない。唯一あった就職口は外人がボスの研究室であった。ならば英語は必須である。一応、YMCAの英語会話教室に通ってみたものの、何か本質的に違う感じであった。実際、旦那と出会って「意思疎通したい」と思うまでは英語なんてどうでもいいと思っていたのであった。ボスと通じないのは何か不都合があるだろうか?
つまり、英語なんて本当に話したいのかどうか、だけなのである。
本当に意思疎通したい対象が現れた時点で本気度が増す、それだけである。
だが、恋は適当に話すだけでも成立するのである。
昔、助手をしていた大学にきていたカザフスタンからの研究者がエジプトの大学院生に言っていたアドバイスが
「日本語を本当に喋れるようになりたいなら、日本人のガールフレンド作れよ」
であった。このエジプト人の学生さんは博士号の審査の時に日本語で説明しなくては行けないという過酷なルールがあったのである。エジプト人の学生さんはすでにエジプトに許嫁がある状態で、困り果てていたが、これは全くその通りである。
誰と話したいのか、それが語学の行方を決めるのだと思うのである。
6 件のコメント:
えーー?うっそぉ〜
などというと「あのなぁJKの口真似なんかキモいだけだからやめなよ」って言われること必定でありますが
今の管理人さん、24時間英語漬け街に出ても大学で学生に講義しても、いやさ家の居間で旦那様とぬくぬくしていてもひたすら英語で意思を伝え言葉の選び方からその裏の話者の意向を感じ論旨の筋道を目に通しながら「すきアリーッ」てな時にはすかさず面一本をぶちかます。
そんな暮らしを英語一つを旅路の友として五年十年十五年。キーッともならず「もうダメ、私日本に帰る」なんてことは一度もなく…
すごいなぁ、この人は。いくら旦那様が素晴らしい動機付けになりリガに移住後は陰になり日向になりして助けてくださったにしても外国語に対するセンスというか食いつきができる人でなければそれだけの膨大な時間を母語を離れて生きていけない。
きっとこの人は何か天才的な”何か”を意識の外で持っていて努力はしてもそれを苦にならずに続けられる、そんな特殊な異能者だろうと思っていました。
なんですか、英語が嫌い?なるべく避けて生きてきた?恋が原動力ですって?
そんなぁ、恋の力は最初の”焚付け”には確かになったでしょうが今日の成功は管理人さんの努力、リケジョらしい食いついたらコツコツとひたすらに。中世の城攻めに例えれば華やかな騎兵隊の突撃じゃなくてコツコツと城壁の下にトンネルを掘り進める無口な工兵隊の努力。その努力と諦めない忍耐、この二つの上に花咲いたもの。誰にでもできるというものではありません。
管理人さんの英語が苦手、国語ダメ、というのは信じがたいといつも思っています。
苦手のレベルが違うのかとも思ってみたり。
英語圏でない国の子供がテレビの番組で英語を喋っているのを見て、なぜ話せるの?
なぜ日本人は中学から英語には時間をかけすぎるぐらいかけて、でも物にならない
のはなぜ?とずっと思い続けていました。もちろん中には留学の経験もないのに
ネイティブ並みの人もたくさんいます。でも一般的に身につかない。必然は一番
本能的は恋、恋に勝るものなしなんでしょうかね。
こんにちは、さんさん。
恋というのは何しろ生殖を土台にホルモンに裏付けされた反応なので最強です。これに勝る原動力はないと思います。私はこれを最大に苦手な英語の克服に使った、ということなのだと思います。残念ながら、もう使えない手ではあります(笑)。ただ、特に10代後半から30歳ぐらいまでならかなり強力な武器となり得ます。
こんにちは、紫陽花さん。
高校の「現代国語」から森鴎外をのぞいて「古文」へ移すべきだ、というのが私の変わらない主張です。森鴎外のおかげで現代国語で2を貰いました(笑)。
英語は本当に学生時代苦労して全く身につきませんでした。学習方法にかなり難があるのだと思います。
日本では文法は事細かに教えてくれますが、こう、反射的に言葉が出てくるような授業とは程遠いです。聞けばいいというものでもなく(リスニングマラソンとかやりましたよ)、私はとにかく口に出して繰り返すが一番効果的だと思います。
生殖という本能にホルモンがまぶされた反応…と書かれた管理人さんの言葉が頭の中であっち行ったりこっち行ったりしていたら昔見たABCテレビ(日本のNHKのごとき局)のドキュメンタリーが思い出されました。
オーストラリア産の大型のトカゲ、尻尾まで入れると楽に50センチはありそうな大型なやつ
これがある日体に疼きを感じるんだそうです。「やりてぇ」って、品が無い表現ですがまさにそのもの。でこの種の大型爬虫類は大抵内陸の乾燥した半砂漠みたいなところに住んでいる。平常餌にするノネズミや蛇なんかがあまりいない乾燥地帯、ところがこのオトコ、やりてぇとなるとむっくり起き上がって一路砂漠の真ん中を目指すんですって。
おーい、そっち行ったってナンパなんかできねぇぞ、なんて言ったって耳も貸さずにひたすら飯も食わず水も飲まず「俺の体が知っている、こっちだこっちしかない」なんか大昔の東映映画にありましたよねそんなのが。
メスの方も何やらうづくんでしょう季節や目指す方角は本能の命ずるままに砂漠の真ん中を目指すらしいんですがこれ「出会い」と言ったって掲示板があるわけでなし”ここが神がかりの出会いスポット!」なんて週刊誌があるわけじゃ無い。
運がよけりゃ出会える運がなけりゃ…干物になる。
そのくらい強力な原動力、いくぞぉーー、わぁーーーっ
恐れ入りました、謹んで訂正いたします。
30代前半以下まで使用可なんて…とんでもございませぬ
大岡越前守に出てくるじゃありませんか
「母上様女性はいくつまで女であるのでありましょうや、お教え願いまする」って越前さんがたずねたらお母上は黙って火鉢の灰を均していたって。女性はいくつであっても女であるぞよテヘッ畏れ入谷の鬼子母神
こんにちは、さんさん。
そのぐらい生殖が関わると生き物は必死というか突き動かされます。情動というか火事場の馬鹿力以上のものを発揮し、困難を乗り越えて目的を達成しようとするわけです。これを学問や研究開発にうまく向けられれば人類はもっと進化するのだと思います。でもきっと無理でしょう。やっぱり生殖へまっしぐらです(笑)。
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