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2021年2月21日日曜日

去年の今頃

 久しぶりにプラス気温になったリガである。まだ積もった雪は残っているがどんどん溶けている。このまま春になって欲しいが、それは無理だということを長年のリガ生活で知ってしまっている管理人である。

さて、去年の今頃は何をしていたのだろうかと写真をみてみたら、入院していたのだとわかった。そうだ、救急車で運ばれて水腎症になった去年の今頃である。

去年の2月25日の写真。病院食である。もうだいぶ回復した頃のお昼ご飯である。左上がプロフと呼ばれる肉入りのチャーハンとリゾットの中間ぐらいの感じの米料理で、ウズベキスタンか何かあのあたりの料理。右上はビーツのスープ。左下はケフィルスというヨーグルトドリンクみたいなやつ。中央下はきゅうりのピクルスまるまる一本。そして写真右下はパンのスライスである。

病院食はもちろん入院している診療科によって違う。これは腎臓科じゃなくて泌尿器科へ移ってからの食事だと思う。トレーは発泡スチロールでできていて、これにパカッとハマる蓋をされてベッドへやってくる。冷めないように発泡スチロールのトレイなのである。

こうしてみると、もうすっかり忘れていたが、健康は何より大事である。こんなこともあったなあ、で済まされるようにしたいものだと思ったのであった。


7 件のコメント:

さんさん さんのコメント...

なんと!
昼風呂雪見酒、優雅な昼下がりのお楽しみの次の日の記事が
「病院食」ときましたか。
ガツンと突いてきますねぇ。

あそこにぶつかりこちらに押しやられ時の流れのなかで揉まれる歳月。
それでも生きてある限り「あ、これって楽しいや」を探し続ける。

「そんなこともあったわねぇ」と思い出せるのはまだまだ盛りを過ぎていない証拠、私の歳になると古い写真を見るのが苦痛に感じられることもありますです。

この病院食、キュウリのピクルス丸のまんまでゴロンはリガのあちこちで食べましたがチャーハンともおかゆとも味ご飯ともつかない鳥の餌風のボールの内容物はただもう恐れ入谷の鬼子母神ですなぁ。食パン二きれはバタも無しでしたか?きびしぃ〜。

しかし諸行無常、所業この世のあるすべての存在は”常なる事は無し”ですって。すごい事言うなぁ、ええ?
本当の事じゃあるけれどサァ、ほんとをモロに見ちゃったら今日が生きられないじゃんとの声も。
「時の流れとひとの身は」とつけた子葉(でしたか?記憶あやふや)の上の句に「明日またるるその宝船」と下の句を付けた大高源吾。常なる事無しを突き抜けた向こう側に安定を求める気持ちが滲んで伝わります…なんて言っても国文学嫌い人間の管理人さんごめんなさい。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、さんさん。
去年と比較して今年はどうなんだろうと写真をみていたら入院してたんだということです。
これは泌尿器科の病院食だったんですが、その前の腎臓科の病院食はもう悲惨すぎて写真にも残ってませんでした。この病院食は「ああ、私、こんなの食べれるようになったんだ」という感動の写真です。バターは必需品なのでちゃんとついてきましたよ。
ま、実は私入院慣れしてるので、いつも旦那に食べ物の差し入れをしてもらってドーピングしてました(笑)。それでもこの病院食は美味しくいただけました。
あ、私、国文学苦手ですが、解説してくれれば味わえます。

紫陽花 さんのコメント...

一年早いものです。コロナで生活エリアが制限されていても一日一か月一年が
長かったとは感じなかったのは年のせいなのでしょうか。
病院食を見ての感想。ビーツのスープです。病院での検査で色素が出てきて
問題にはならないのかと思ってしまいました。

同じ値段なら大きいのをと買ってきたビーツを圧力鍋の蒸し器を使って
柔らかくしてみました。10分加圧しても柔らかくなり過ぎないのですね。
バルサミコもサラサラしたものや甘目のものやメーカーで味が違いますが、
私的にはグローブを入れたピクルス味の方が好みでした。

さんさん さんのコメント...

これでも「ああ!」ってんで感動して写真撮る気にもなった献立ですか!
そりゃ腎臓泌尿器系は体の中の不要分(主に塩分)をこしとる臓器ですから
外科みたいに寝てりゃ済む話じゃない、これでも涙が出る…うーんその前の管理人さんの苦しみは想像するしか。
逆に言えばその状態からででも1年、わずか1年で昼酒飲んで調子こいていられる管理人さんの回復力というかそれを助けるラトビア医療のレベルの高さイヤイヤ管理人さんの若さの勝利を感じられます。

この大高源吾と宝井其角両国橋の別れの段は松浦の太鼓というお芝居の中の1シーン。

宝井其角は大高源吾が浅野家が断絶する前俳句を教えていた関係で1年ぶりで再会してみると
12月の寒空にボロの着流しですすだけ売りをしている(これってほとんどもの乞い状態に受け取られる)大高源吾に憐れみを感じて「人生いつ何が起こるかわかったもんじゃないですね、まぁ体に気をつけてそのうちにいい事もありましょう」てな事を言って上の句「時の流れとひとの身は…」と詠んで”浪人してボロきて大晦日に歩き回るような身になっても私はあなたを今でも同じ俳諧の仲間と認めておりますよ、という気持ちを伝えようとした。
これに源吾は「明日またるる宝船」という俳句的に見ればひねりもシャレもない句を付けて
きたので其角は「浪人したら心まで風流心を忘れるほどになってしまったか」と半ば憐れみ半ば蔑んで自分の着ている羽織を脱いで着せてやって別れを告げた…元の俳諧仲間、元のお侍に”恵んで”やったわけですから大変な事。
で翌日でしたかね、其角は平戸の大名、松浦公に拝謁した際「昨日大高と出会いましてね、そのときあいつの読んだ句がもうひどいもんで…」と噂をしたら松浦公
「其角、そちの宝船の理解は間違っておる。彼の言う宝船は主君の仇討ちの本懐を遂げる、その事の意味であるぞ」と言われ…
観客はここでドーッと沸くというお約束の場面。お芝居やら講談でこのシーンはかなり有名であります…

かまくら さんのコメント...

去年の今の話だったのですねぇ。まだコロナが対岸の火事だった・・・。
今は週末の優雅な昼風呂が楽しめる状態になって、本当に良かったですね。
イギリスの病院食については、全く分からないのです。義父が循環器系で入院した時は、いくつかから選べるパブのようなメニューで、義母がやはり循環器系で入院した時は、味付けなしの蒸し野菜のみだったのです。拒否すると、特別よ、と言ってアイスクリームが出てきていました。あれは病院によるのでしょうか?どちらもプライベートではない普通の病院だったのですが・・・。
この一年以上、誰にとっても普段とは全く違い状況を過ごすことになりましたが、管理人さんにとってはもっとでしたね。
回復なされて、本当に何よりでした。

megmeg さんのコメント...

管理人さん、こんにちは。こちらは夜になっても上着がいらないくらい、暖かい一日になりました。慣れていても辛い入院生活。今の制限のある生活も大変ですが、へろ君もいるし、体調良く過ごせることは何よりですね。お風呂のあとの、泡!うらやましい~。自分が体調管理できていないことが悪いのですが。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、紫陽花さん。
わかります、私も同じで、光陰矢の如しです。
病院食はまあそんなに期待するものではないと思うので、これでも十分頑張ってる方だとおもいます。
ビーツは手強いですよね(笑)。そう思うのはラトビア人でも同じらしく、すでに茹で上がったビーツも買えます。

こんにちは、さんさん。
いやはや、あの時はひどかったですわ、という昔話にできてよかったです。腎臓は全く大切にしないといけませんね。お芝居の一シーンの解説、ありがとうございます。

こんにちは、かまくらさん。
ええ、この入院の頃はまだコロナが対岸の火事だった頃です。この後、退院して、1日だけ授業をしに大学へ行って、超辛いと思っていたら次の日から大学が閉鎖になって、助かったと思ったものです。オンライン授業がこんなに長くなるとはおもいませんでした。味付けなしの蒸し野菜のみは辛そうですね。

こんにちは、megmeg殿。
いいですねえ、暖かくなるって。今日こちらは4度まで上がったんですが、旦那は「春だ」って言ってました。同意しかねますよね。