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2021年4月24日土曜日

ラトビアの春は焦らし上手

 4月も終わろうとしている。なのに、ここへきて日中気温が5度とかそんな感じの日々である。暖かくなるのは直線的ではない、とわかっていても期待して、寒くなるとがっかりする、いつものパターンである。

だが、本当に毎日毎日緑色が増えてきている。

冬の間、落葉樹はすっかり枝だけのシルエットになるのだが、この数日で、その味気ないシルエットが変わってくる。なんとなくポヤポヤしているように見えるのである。緑色でもないので葉ではない。そのポヤポヤの原因は花である。桜のような花ではなく、柳の花のように地味なものが先行するのである。柳の花の地味さはすごいのである。誰にも気付かれず、なんとなくポヤポヤしているのである。よくみると、そこにネコヤナギ系の花。きっと誰もあれが花だとは認識していないと思う。ただ、この時期、なんだか木がポヤポヤしてたら、それはジミーに花が咲いているのである。日本の桜と同じように、春先の木本は花が一番最初である。花の途中もしくは終わってから葉っぱが出てくるものが多い。

こんな古い歌をご存知の方はあまりいないと思うのだが、ちょっと紹介したい。

あなたと二人できた丘は港の見える丘
色褪せた桜ただ一つ淋しく咲いていた
船の汽笛、咽び泣けば、
ちらりほらりと花びら
あなたと私に降り注ぐ
春の午後でした

昭和22年の歌なので、流石に管理人も生まれる前である。だが、管理人はこのうたが大好きなのである。

この歌の桜は、山桜である。ソメイヨシノではない。だから色褪せていて、ただ一つ咲いていた桜は今でも横浜の港の見える丘公園にあるのだと思う。花を咲かすと同時に葉っぱを出してくるタイプである。白い花でソメイヨシノのような華やかさはない。

ラトビアに咲く桜のほとんどが山桜と同じ感じである。それが、いつも管理人に港の見える丘公園の桜を思い起こさせるのである。

13 件のコメント:

さんさん さんのコメント...

あっちゃぁ〜
まさかに管理人さんの言葉で
港の見える丘が聞けるとは!
覚えていますとも、ってもしかするとこれもこないだのパブロワと同じで私狙い?
うふぅ〜ん、という気持ちになりました、だけじゃなくてどうかすると30年ぐらいの時空を超えて管理人さんと同じ歌が共有されて、いやこれはどちらかというと歌というより唄とかいた方がしっくりする、何か凄みというか大げさに言えば”文化”の持つ力を感じさせます。
テレビがない時代の8歳のガキにはラジオから流れてくる平野愛子の唄声がせいぜいで、そういやぁあの頃は”演歌”っていう言葉も普通の人は使わなかったようにも。
「ええ、ええ私ら学がないもんでヤンスからね、ジャズたらいうものはさっぱりでヤッパ港の見える丘の方がしっくり来るんでござんすよ、てなことを…

あの頃はその桜がソメイヨシノじゃないなんて考えもしませんでしたよ。今突然笠置シヅ子なんて名前が浮かんできたぁ!

Mikija さんのコメント...

こんにちは、さんさん。
港の見える丘は私のソウルソングなんです。
私にとって、横浜の関内や石川町はずっと小さい頃からの憧れだったんですよ。35歳でマンション買いました。元町を自転車で闊歩するという夢も実現しました。で、旦那と出会って、ラトビアへ来て、ちょっとノスタルジックに今横浜を思い出してみました。
港の見える丘公園にはソメイヨシノはありません。申し訳なさそうに、一本の桜の木がたってます。きっと誰もこの木があの歌の主人公なのだと知らないのだと思います。。

さんさん さんのコメント...

あは、管理人さんも関内、石川町素敵感を共有されていたんですね、なぜあそこのあんなに惹かれたのか不思議ではあります。
私は元から森とか雲とか風に惹かれる質で人間の作った街はたとえそれが麹町や麻布の良さげな家が立ち並ぶ地区でも佃島あたりのこれが下町的な街並みでも「ふーん」で通り過ぎる人だったのにその頃住んでいた千駄ヶ谷から渋谷に出て東横線で桜木町へ、あとは歩いて関内まで。中学から高校生の低学年の頃夢中で通ったものです。
あのご近所にお住まいで?自転車で?元町を?いいなぁ。

港の見える丘公園てとこは私はまだ行ったことがないんです、外人墓地には行っているんだけれど(塀の外から墓碑銘を一つ一つ読んだりして)その頃はまだちゃんとした公園はなかったような気も。

megmeg さんのコメント...

管理人さん、こんにちは。管理人さんとさんさんさんのやり取りにじ~んとしました。私は高校生の終わり頃から中目黒から東横線で桜木町へ、元町をウロウロしてました。UNIONが刺激的でした。ほとんどウィンドウショッピングでしたが、バイトし始めてスターシルバーでピアス買ったときはうれしかったなぁ。きれいな紙ナプキン(手芸やラッピングに使用)手に入れられたり、いろんなことを思い出しました。

さんさん さんのコメント...

megmegさんの書き込みを見てまたまた思い出しましたぞ。
なんて名前だったかどのあたりだったかも思い出せませんが生まれて初めて”ほんとの”
フランスパン、ってどんなものかお前食ったことあるんか、え?なんて突っ込まないでください、60年ごろ盛んに活躍していたフランスのじぃ様の俳優さん、その頃すでに60過ぎの顔をしとらしたが、エイ名前が出てこない顔は見えているんだけれどもなぁ、このジィさんが引退間近のギャングの親分の役で夜遅く一人暮らしの部屋に帰ってきて普通の洗面所にあるようなコップに赤ワインついで一口飲んでからバゲットをひとかじりする、その動作にこのアジアのそれも東京からすら出たこともない少年はワクワクして見とれていたものです。
そのフランスパンに、格好だけは給食のコッペに似ているが手に持っただけで「コレハナニカ違う」感満載のパンにお初に御目にかかったのがそう元町でありました。パンにつけるバターのうまさ、これは私にはフランスパンが教えてくれたものであります。
megmeg様思い出させてくださってありがとう、ついでにあのフランスのじぃさん俳優の名前ご存知ありませんか。

思えば私の”外国”体験は元町から始まったと言えるかもしれない。

さんさん さんのコメント...

想い出したぁぁぁ!
ジャン.ギャバンでした。

パンをナイフでテーブルに置かず一切れ切る仕草
それをもぐもぐ噛む仕草に今ここにいるギャングの老人という役を離れて
今までの生きてきたあれもこれもが表面に出てくる、人間がものを食べている…なんて生意気にもそんなことを感じて少年は憧れを強めたものでした。

しかしこのジャンじぃさん隅に置けないでけっこうなエロジジィの役とか活劇役なんかもこなしていたっけかなぁ。

紫陽花 さんのコメント...

戦後間もない頃はこんなテンポの歌が人の心を癒し、好まれたのかと思うほど
スローテンポな曲だったのですね。
横浜元町=オシャレでした。チャーミングセールに足を運んだこともありました。
最近は行っていませんが、随分店舗も入れ替わってしまい昔のイメージとは
ちょっと変わってきていた記憶があります。

megmeg さんのコメント...

管理人さん、こんにちは。さんさんさん、すぐ思い出されてましたね!すばらしい!自分は2〜3日後に思い出したりするので、恥ずかしい(;一_一)ジャンギャバン、ググッてしまいました。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、さんさん。
Wikipediaによると港の見える丘公園は昭和37年開園だそうです。
父の会社が関内にあり、当時は日曜出勤などもあったのでよく家族で会社まで行ってあの辺りをぶらぶらしたものです。おしゃれな感じが大好きでした。どうせならこんなところに住みたいと、山手に登りきれませんでしたが坂の途中ぐらいのところにマンション買いましたっけ。
フランスパンと言えば私の中ではポンパドールです。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、megmeg殿。
バイトで買った初めてのピアス、良いですねえ。いい思い出ですね!
ミハマとか近元レース店とかありましたねえ。買えた試しがありませんでしたが(笑)。ジャンギャバン、私もググりました(笑)。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、紫陽花さん。
本当にスローテンポですよね。昔の人はゆったりしていたんでしょうかね。
チャーミングセール、懐かしいです。大学生の頃は試験時期と重なって行けなくて悔しい思いをした覚えがあります。大分お店も変わってしまったのでしょうね。中華街も大分お店が変わってしまっていると聞きました。

megmeg さんのコメント...

管理人さん、こんにちは。やはりポンパドールですよね。ミハマの靴も買えたのは社会人何年目?かな。ミハマのバッグや財布も流行りましたね〜。猫モチーフグッズの飛行船という店も好きでした。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、megmeg殿。
ええ、ポンパドール!! ミハマ流行りましたよね。あと、キタムラとか。懐かしいですね。