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2021年8月31日火曜日

新学期@ラトビア

これを書いているのは8月31日で、世の中に不安と憂鬱に苛まれている人が多数いる、宿題終わってないとかありがちである。そんな一方、期待と楽しみに胸を膨らませている人が沢山いる。今日はそんな人々の心が二分された特殊な日なのだと思う。 

教鞭に立つ管理人としては、後者であるべきだとは思うのだが、残念ながら管理人は前者である。元々教えることは好きではない。教えるということは、

「こんなことが世な中にはあるんだよ、面白いよね」もしくは
「こんな事例があるからこれは将来役に立つよね」

に学生が共感してくれないと全然楽しくない。
なんだかこう、自分がお笑芸人になれたらいいのに、とさえ思うぐらいである。興味を引ければ学習効率は必ず上がる。大学の教員にはそこまでのパフォーマンスは要求されないが、教えたものがきちんと根付いて欲しいという個人的な欲からそう思うのである。大学という本来なら「学ぶ意欲を持った学生たちの集まり」であるはずの場所でもそんな感じなのだから、子供たちの教育に関与している先生たちはもっともっと大変なのだろうと思ったりするのである。

子供たちの学校が始まる9月1日は、それに関わる教師たちにとっても華やかで喜ばしい1日となる。通常、特に新入生たちはスーツやドレスに身を包み、手に花を持って登校する。花は先生へあげるためのものだ。季節ということもあって、日本ではもうあまり見ることのなくなったグラジオラスを手にする子供が朝に結構多い。そして、午後には沢山の花を抱えた大人を路上で見かけると、ああ、学校の先生なんだなと思うわけである。

まあ、大学にはそんな感じのことはないが、新学期は新学期、新学期こそは頑張ろうというちょっとフライング気味の学生のメールに対応しながら、このモチベーションが今学期中ずっと続いてくれるといいなあと思う管理人であった。


6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

知らないことを知る楽しみ、それを仲間と共有する喜びそして何よりも新しい知識を教えてくださるきょういんへのありがたさ、そんなものを実感し自分の中で喜びがわくのを実感したのは大学を卒業してはるか経ってからふと思い立って母校の教室に潜り込んだ時でありました。
授業が終わって質問を抱えた後輩に混じって教壇に近づき「今日は知る楽しみを実感しました、ありがとうございました」と教授に申しあげました。にっこりしておられたっけ。
小学校から「時間割」というものに縛られて興味のあるなしに関係なく”常識”の涵養に必要だとされる中身を詰め込まれる、それが学校(決して間違いだと言えないとは思いますが)と思い込んでいた私には目が醒める思いだったことが記憶に強く残りました。
さんさん

紫陽花 さんのコメント...

残念な大学時代の過ごし方をしてしまったという思いです。大学時代より以前中高時代からと
行った方が正確かもしれません。中間期末試験のための勉強、単位の為ための勉強に始終して
しまっていました。女性は短大で十分、という時代に大学まで行っておきながら卒業した大学名
だけが肩書として残っただけで中身は空っぽ。大学名の肩書ではなく中身を重視するべきでした。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、さんさん。
そうなんですよね、学ぶ楽しみって学生時代からしばらく経たないと湧いてこないんですよね。若者は色々と忙しいですから。それはもうホルモンがそうさせるのだから仕方ないと思います。こちらの大学で色々と見ていると、まあ、ファッションとかにとても気を使うようなタイプの学生は大抵そんなに熱心じゃないです。もう子供がいてっていう人の方が熱心に勉強するような気がします。こう、遊びたい、彼氏彼女欲しい、っていうのが一旦完了すると「じゃ勉強しようかな」とか思うのかもしれないなあと思っています。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、紫陽花さん。
それ、普通です(笑)。皆さん40、50を過ぎてから、ああ、もっとちゃんと勉強しておけばよかったと思い始めますよね。私もそうです。私は好きな講義については結構勉強しましたが、それ以外は「必要ない」とか思ってました。まあ、思い上がりにも程があるというか、何も知らない馬鹿者だなあと若い日の自分を振り返っています。それでも大学へ行き、卒業したということは変えがたい体験だと思います。それに、大学で勉強したことって、10年ぐらいの時が経って振り返ると、一番時代遅れになってるものだなあと思います。

匿名 さんのコメント...

確かに管理人さんがおっしゃる通り
”万物の霊長”などと力こぶ作って見せたところで所詮は生き物
自然が命じた「生き延びよ、子孫を作れ。さもなければ滅びよ」という命令もだし難くハタチ前の若者に”知らないことを知る楽しみ”なんて言ったって「なんじゃそれ?」って言われるのがそりゃ当たり前なのかもしれません。
がそれじゃ困る、世の中って仕組みは「新兵教育」が終わった者のみを受け入れて規格外はふるい落すことで成り立っている。
この”やだよ”という若者と”企画にあった新卒を”という世の中の要求の間に立って悪戦苦闘されるのが教員という職業。
昔は良かったですねぇ、私が小学生の頃は盆暮れには靴下とかハンカチセット持って親が「聖職」である教師に挨拶に行っていましたっけ。
崇められるとひとりでにそれっぽく振る舞うってのも人という者の持つ性の一つ、”ただの労働者”なんて言われるよりもねぇ。さんさん

Mikija さんのコメント...

こんにちは、さんさん。
そこがなかなか難しいところですねえ。世の中をちゃんと渡っていって欲しいと思うのですが、ずる賢くではなく、ちゃんと勉強して欲しいなあと思います。
聖職、ではもうないですね、教員は。クレーム対応に終われたりしてますし(笑)。ある種のサービス業なのかなと思ったりします。私の学生時代は大学の先生とネゴシエーションするなんて考えもつきませんでしたが、欧州だとちょっと違うんですかねえ。とりあえず、新入生のネゴシエーションはすごいです(笑)。