ノーベル物理学賞を日本人が受賞したというニュースを見たのだが、その直後にアメリカ国籍の人だということで、あらら、と思った管理人である。さらに、
「日本へは帰りたくないなあ、私には協調性ないし、アメリカでは好き勝手な研究できるし」
というインタビューを見て、ああ、なるほどね。と深くうなづいた管理人であった。
さて、今日はちょっとラトビアの大学の教員のお給料はどんな感じなのかについて書いてみたいと思う。
とりあえず、管理人の勤めている大学はこんな感じである。
- 授業や講義を担当する教員としての立場
- 研究をする研究者としての立場
- グラントを取った研究者としての立場
- 大学附属研究所の所長やラボリーダーとしての立場
グラントを取るとお給料は上がる。グラントを取った研究者の給料は准教授より多くなる。グラントには人件費を計上していることがほとんどなので毎月のお給料も上がるし、なぜか大学はご褒美として特別ボーナスまでくれる。頑張ってお金引っ張って来てね、ということなのだろう。
研究者のお給料は准教授よりちょっと劣る。だが、過去3年以内に6報の国際的なジャーナルに掲載された論文があればその期間内は准教授と同じ給料となる。
日本と比べると、全く実力がものを言い、パーマネント採用であっても給料は自分の努力で上下するわけである。頑張れば給料が上がる、という大きなモチベーションもついてくるのである。たくさん論文を書けば客観的な指標であるh-indexというのが上がる。これはどれだけ論文を書いてそれが引用されているかを数値化したものだが、そういう客観的な指標で業績を評価してくれるのが管理人としては一番うれしいことである。
日本で研究していて一番もどかしかったのは、グラントをとっても給料上がらない、論文書いても給料上がらない、どれだけ論文数を増やしてもインパクトファクター上位を狙っても結局大学のポストはコネというところである。
4 件のコメント:
はぁ〜〜〜
研究、それは開拓者の暮らしにも似ていると感じた今日の記事でありました。
昔々60年近く前世の中に出たばかりの頃、自分の仕遂げた結果に対する報酬で暮らした時期がありました。確かに毎月の受取額は世間の相場の3倍以上、まそれに目がくらんだわけですが…
然し自分のした仕事の結果会社がどれだけ得をしたか、それだけに対する報酬で暮らしを立てることはかなりな重圧を感じました。
いや自分で言うのもなんですが結果は出せたのですよ、日本代表としてシドニーでの会議におよばれしたとか。私の最初の海外体験でしたっけ。然しこれで10年20年と生きるには重圧が過ぎる、だって毎年果たすべき結果が一方的に会社が割り当ててくるわけですからね。
当時文句たれたれ私は結局会社を辞めたわけですが、およそ商売っ気とは縁がなさそうなラトビアの研究者がコミッションセールスマンやお水がらみのおねぇ様みたいな給与とは。おまけにラトビアじゃなくて日本だったらそれに加えて人間関係上下関係がんじがらめ。
「君のそのテーマは誰それが選んだテーマとぶつかるから…」なんて。
いやいやいや改めて大学の先生方に頭が下がります。
「なにがどうあろうとも知りたいことを知る努力は止めるわけにはいかないんじゃぁ」という声が聞こえた。
昔大学生だった頃、単位稼ぎの一般教養の講義の非常勤の講師の”皆さんのバイト料よりも安い”と言うお言葉は忘れられません。T大の先生でした。T大の結構立派な先生だった記憶があります。そんな先生がわざわざ週一回の講義に出向いて来てくださっていたのに、学生側は単位目当ての楽勝クラスという感があったような気がします。申し訳ない限りです。
評価の中に論文数が影響するそうですが、そんなにドンドン論文が書けるものなのかなあとド素人の私などは思ってしまいます。追われるような気落ちになって変な夢をみそうです。
こんにちは、さんさん。
大学の教員は多分どこでも似たような感じだと思いますよ。アメリカとかはきっとグラント(研究費)を取れないと何もできないどころか存在価値すら疑われるような厳しい世界だと思います。成果を出し続けるのはしんどいですが、好きなことをやっているのなら続けられるんだと思います。日本はグラントとっても給料上がらないですし(今は知りません)、「研究者は清貧であるべし」とかって言ったりしますからね。
こんにちは、紫陽花さん。
ええ、非常勤講師の時給はそれは悲しい額でした。日本の大学は一般教養にしても専門にしても全ての授業や演習を一つの大学で賄える人的余裕がないので、非常勤講師という制度があるのですが、これで食いつないでいく若い研究者とかも結構います。これでは研究を続けて行こうという気力も生活を守るために無くなっていってしまいます。
論文は研究の成果発表なので、研究者の義務でもあります。それと、やっぱり、ここまでやったから論文にまとめて報告して区切りにする、というような意味合いもあります。大学院生さんとかは、論文を書くことによって研究の区切りとか今後の展望を深く考えることができるようになって、問題解決能力に磨きをかけることができます。
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