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2021年12月18日土曜日

さんさんのお話(1)

さんさんに寄稿をお願いしました。というのも、このブログを読んでくださっている方々は少なからず海外で暮らすということに興味を抱いている、もしくは海外で暮らしている人々はどう決意して住んでいるのか、という様な根本的な「海外で暮らすとは?」という問いがあるのかなと思ったからです。さんさんは在外邦人としては大ベテランです。面白い話がさんさんの人生には詰まっています。それを知りたい人は沢山いると思います。さんさんの都合もあるので不定期にはなりますが、さんさんのお話を掲載していきたいと思います。


皆様初めまして…ではないなぁ「ラトビアに嫁に行くか」ではしょっちゅう具にもつかない意見をコメント欄に書き込んでお目を汚している”さんさん”でございます。この度は管理人さんのご好意で

「お前も少し自分の身の回りのこと書いてよ」との仰せで恥ずかしげもなくしゃしゃり出た次第…ってこの辺りの書き方いかにもな日本人丸出し。何かへりくだっているみたいで実はちっとも”下って”いない、ははは。

まず自己紹介から、名前は、さんさんで参りましょう。職業ではないんですが、あれって職業とはいえませんよね商売だったら大変なことになる、一応肩書きにしましょうか。肩書きは禅ボーズ、坊主と書かないのはトレーニング期間を含めて十八年プラスオーストラリアに来てから約四十年時間が経ちましたがまだ私の名前は本山の僧籍簿からは削られていない、いないよなぁ確かめておらんけど、寺という名前の施設を預かっていない、完全じゃないから坊主じゃなくてボーズ、でもそれが私の自分に対する誇りでもあります。まぁここいらはおいおいと。

でもってお師匠さんのところに小僧に入りますとそれまでの親のつけた名前を捨てて僧名をお師匠さんがつけてくれる。私の場合は減算、じゃなかった玄山という名前。苗字は無くなって何とか寺の玄山になる。

でもって僧名がついたからってまだ坊主になれるわけじゃない。制度は各宗違いますが私の場合は僧堂、雑にいえばボーズのトレーニングセンターに最低でも三年はいなければならない。

私がいた時でも15、6人の雲水、つまり修行中の小僧が草鞋を脱いだ九州の修行道場におりましたがそこでは玄山なんて呼んでくれない、名前の下の一字に〇〇さんのさんをつけて私の場合は山さん、やまさんじゃありませんよさんさんとよばれることに。

朝3時に起こされて堂内庫裡の拭き掃除、ひろいですからねぇはぁはぁ息を切らせてて拭き掃除して朝のお勤め朝課ですな、それから朝ごはん。朝ごはんなんてイメージとしては朝日が差し込む食卓に銀色に光るご飯が湯気を。なんてものでしょうが僧堂の朝ごはんはおかゆ、それも水一升(1.8リットルですなぁ)に米さかずきに一杯、まぁ白湯を飲んでいるよりはマシてなおかゆにたくあん、何しろ三黙堂と言って食堂浴室東司(トイレのことですわ)では絶対に無言無音が約束事(その割には皆p*ーーっって言わせてたがなぁ)ですからたくあんも気楽にパリパリとは言わせられない。たくあんは紙よりもうすーく切ってしゃぶって塩気を口中に出してあとはおかゆといっしょに丸のみにしちゃう。そのたくあんも気楽に全部食べちゃいかん、何枚か残しておいて最後に鉢にお湯を汲んでもらって残した沢庵で中をぐるっと拭って飲んでしまう。

鉢を包んできた布巾で拭きあげればハイ洗鉢の出来上がり

長くなりましたから朝ごはん後の日課は次の第二回に。 写真は今私が住んでいるオーストラリアの東海岸の農村の風景です、嘘つけ、農村て人家なんか見えないじゃんとおっしゃる?画面中央のやや左寄りをご覧あれ、白い点がぽちっと。あれが隣の家です。



15 件のコメント:

Mikija さんのコメント...

こんにちは、さんさん。
この写真、すごく気になるんですが、この斜面は誰かが管理して芝刈りとかしてるんですか?さすがオーストラリアは広大さがすごいですね。
なんか、今日、日本のテレビのYouTube録画で日本のお寺がコロナで減収になって大変という話を見ました。神社はもっと大変なんだそうです。そのうち、さんさんみたいなお寺を持たないボーズばっかりになるのかもしれないですね。でもまあ、宗教は心ですから建物がなくてもいいのかもしれないですね。宗教の第二形態というか、進化しているのかもしれないですね。

さんさん さんのコメント...

管理人さん、私の寄稿第一号の最初のコメントが管理人さん、大いに名誉に感じました。
この斜面の草刈りは牛です。面積に対して適切な量の牛なり羊なりが放牧されれば草が成長するスピードと牛が食べるスピードが釣り合って写真のような見事に”手入れ”された感に満ち満ちた景色が出来上がります。このバランスが釣り合わないと草ぼうぼうの農場になったりあるいははげちょろけになったりして通る人が「ここの親父もなってねぇなぁ」なんて批評を受けることに。
仰せの通り宗教は心であると私も信じます。管理人さんが言われる通り晴れた日に緑の野原に出ればそこに神の存在を感じる、森に入って行ったらでっかい岩があった。何か心打たれるものがあるのでその岩の周りを掃除する。時々掃除に来ては心が安らぐにを感じる、それが日本人の宗教感情の原型だと誰かが書いていましたがまさにその通りかと。

寺なしボーズばっかですか、キリスト教の一派にそういう主義の人たちがいらっしゃるとか聞いたことがあるような、しかし人の好みは変わるようであまり変化しないもの、コロナが落ち着いたらまた元のようになるんじゃないか、そして私は相変わらず変人と指さされるように思いまするです。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、さんさん。
いいですねえ、ほら、記事を書くとそれに関して責任を持とうとする。質問やコメントに対して向き合った返答をしないといけない。さんさんはそれが普通にできるので安心してます。

さんさん さんのコメント...

なんかフシギィ〜
これまで10何年か管理人さんが記事を書いてそれに対して私たちが感想なり思うことを書くってのがフツーだったのに急に立場が反対に。
管理人さんが「いいですねぇ」なんておっしゃるとなんかゾワって嬉しくなる、オシいっちょ腰を入れて…ってな気になりまする。
管理人さんはともかくかまくらさん紫陽花さんそれにクールな常連のlecturer様、皆さんからの
ご批判がないと何やら落ち着かない、なんてはじまった早々もう不平かよ。大体お前はそれだからいつも人とのおつきあいを…へへぇ、やばっ、大昔に虹の橋を渡ったはずのお袋が出てきて文句たれてるぅ。ごめんなさいごめんなさい。ははは。

さんさん さんのコメント...

ねぇ管理人さん、これはご相談ですが「さんさんの”お”話」ってのは読者から見てどうなんでしょ。

おの字を残すなら「ボケ老人さんさんのおはなし」又は「アホのさんさんがつぶやいたお話」(ちとながすぎるか)いっそおの字なしで「さんさんが話した」とか。なぜか「さんさんのお話」だと座りが悪いというか居心地が悪いんですよね。わたしだけかなぁ。いかがなものでしょ。

紫陽花 さんのコメント...

朝一PCを開いたら、管理人さんからの新企画のご案内。覚醒していない頭で読み進めていくと”禅ポーズ”なんて読んでしまって読み直してやっと目が覚めました。濁点のボーズでした。
見知らぬ人で世代も違っているのに、過去に同じ空間で過ごしていたという不思議感があって、ご縁というものを勝手に感じています。管理人さんともです。普通ってなんだろうとは思いますが、いわゆる普通のサラリーマンの家庭だらけの身内の中で育った者としては、さんさんの経験や体験からのコメントはなかなか興味深いものです。管理人さんがこんな提案をしてくださったことに感謝するとともに、さんさんの視点でのお話を期待しています。

ご自宅の写真見て、すご~い!ゴルフ場付きの家なんだ!と思ってしまいましたよ。オーストラリアには30年あまり前にツアーで東海岸のケアンズから入って南下していきましたが、最初のケアンズの木々の風景が日本的だった印象があります。この写真を見てもここは日本と言われても違和感感じません。ラトビアの風景とは全く違います。それにしてもお隣がはるか向こうとは。ポツンと一軒家に住んでいる人もいますが、塀越しに立ち話がする身としてはちょっと寂しそうな環境です。

管理人さん、予定は変更しませんでした。クリスマス前とうことで鶏一羽が買えました。鶏の一羽を解体して前日からマリネしておいて、パイレックスに入れてオーブンで1時間半あまり。出来上がったら生クリームとマスタードを入れて余熱で置いて出来上がり。生クリームの使い方は少なめだったかもしれませんが、手間がかからない割には味がしっかり大変結構な仕上がりでした。使いかけのサツマイモがあったので焼き芋まで出来てしまいました。生クリームやバターはカロリーが高いので料理に使うのはヘルシーではない、というようなこの頃の風潮ですが、美味しく食べるためには手軽な調味料にもなることを痛感しました。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、さんさん。
表題はこのままでいこうと思います。最初「さんさんの話」にしようかと思ったのですが、それだと私がさんさんのことを書いているような印象かなと思ったので、さんさんのお話にしました。この路線でいきたいと思います。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、紫陽花さん。
生クリームもバターもカロリーが高いということで敬遠されがちですよね。私はラトビアへ来てから使い始めました。バターは特に朝食の目玉焼きやらオムレツやらを格段に美味しくしてくれますね。
日本のさつまいも、いいですねえ。こちらのスーパーでも時々見かけますが、品種が違っているようであまり甘味のないものです。グリル用カボチャの方が甘いぐらいです。

さんさん さんのコメント...

管理人様

御意。

って霞ヶ関あたりの人は言うのでしょ?ご意見了承しました、っていみで。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、さんさん。
快諾いただいてありがとうございます。
一応、管理人なので全体のバランスとか考えてます。「お話」の方がなんだかさんさんの講話を聞くような気分でいいんじゃないかというのもあります。ええ、講話なんてつもりじゃない、とおっしゃると思うのですが、お坊さん歴のあるさんさんのお話はとっても軽い気持ちで読める講話に匹敵すると思います。私、そういうところ、タイトルとか、言葉とかこだわるんですよ。だからこそ、このブログを読んでくださる人が長くお付き合いしてくださるんだと思うんです。なので、私のこだわりは曲げません。

かまくら さんのコメント...

さんさんのお話、なぜか頭に一休さんを描いて読んでしまいました。お話が読めてとても嬉しいです。
お坊さんのトレーニングセンター(この呼び方、分かり易いです)の生活はとても真面目なのですね。昔福井の有名なお寺で見かけた若いお坊さん達が、人の見えない所で色々な話をしているのが聞こえてしまった時に色々な気持ちがよぎったのを思い出しましたが、さすがさんさんはさんさん、努力の時間の長さが違うんだなぁ、と思いました。

実家ではそういえば、ご飯茶碗は最後にお茶を飲んで終わりにしていました。今もそれが出来れば良いのですが、さすがに紅茶やコーヒーではやる気が起きず。ただ、読んで、お坊さん達の食べ方に少しだけ近づきたいと思った次第です。量も何もかも難しいですが(笑)。

そう言えば写真の草の状態を牛や羊が作っているとの事。素晴らしいです。自然に任せる方が人間がするよりも上手く行くのですね。

さんさん さんのコメント...

紫陽花さま
お返事が遅くなってしまいました、まだ不慣れなんですねぇ、ごめんなさい。
確かに私のように人生あっち飛びこっち飛びした方が人生経験が広がるとは思いますが
昔親に説教されたように「この一筋道こそが我の生きる道」って深く掘り下げることができない
そこがお前の…いやどこにその一筋道があるか探している最中なんで。なんて問答したこと思い出したじゃないですかぁ…

正確に申しますとあの写真は「ご自宅」ではないんですよ境目に塀が立ってないんでわかりませんがあれは隣のも一つ向こうのオタクなんです。
日本人の感覚ですと、私も最初は100%純日本感覚、緑の原に草を食む牛たち、うーんいいねぇなんぞと思いましたがよく考えると百姓は牛が可愛くって飼っているわけじゃない。肉牛
生産農家はなるべく早く仔牛を出荷できる大きさに育ってて出荷、つまり肉にする。ミルクの生産農家は出産後でなければ牛も乳を出しませんしそれも二年とは続かない。だから乳牛たちはのべつまくなし妊娠出産を繰り返す。仔牛はいつまでも母牛の乳を飲んでいると生産に差し支えるから出産後何日かすると親から取り上げてしまう。
仔牛がいなくなった母牛は3日ぐらい朝も夜もいなくなった仔牛を求めて悲痛な声で絶え間なく泣き叫ぶ。
わたしは魚は捌けますが鶏は首を刎ねて血抜きをしてなんてことができない、よその家とはいえ母牛が泣き叫ぶのを平気で聞き流すことができない。バナナ百姓になったのもそこいらの事情が絡んでおりますが、これだってバナナの身になれば結構残酷な話なんですが少なくても赤い血は流れない。てな訳次第でございます。
てなことを言いながら昨夜はラムの(つまり子羊ですなぁ)のステーキ食ったり。いや人間はほんとにどうしようもない生き物です。

さんさん さんのコメント...

かまくらさま
ご投稿ありがとうございました、管理人さんもおっしゃっていますがお読みいただけた方々の
ご意見反応が励みになってあれも書こうかと言う気になります。
いや雲水といっても昨日まではどこかで突っ張ってきた奴もいるでしょうし新発地と言ったって中身は知れたものです。
雲水の中には心の芯までスッキリ欲が無くなるまで修行生活を続けなければ、と頑なに思い込んで十年二十年と朝3時起きの生活を続ける方もいらっしゃいますがこれはこれで人柄がなんか片いっぽに傾いたまま固まったようになって複雑な人の世の中で生きてはいけないのでは…と思えることがよくありました。
雲水といっても千差万別、無難に道場の暮らしをこなして一刻も早く親の後ついで”住職”になることを夢見る奴も、あの人は古手だけどどう見ても人格異常、あれじゃ僧堂からは出られないよなぁてな人も、私のように離婚騒動、まさに騒動でしたなぁ、のもつれからそれまでの社会生活を捨てて頭を剃った出来損ないまで色々様々であります。そのゴミのような奴の中から、いやゴミのような奴だからこそものの見方が普通に縛られないで悟りの境地に近づきやすいのもいると見込んで修行を引っ張る指導者(業界語では老師と申します)の苦労はさぞかしなものと思います。

Mikija さんのコメント...

こんにちは、さんさん。
いやはや、さんさんに寄稿してもらってこのコメント欄の盛況なこと。やっぱりお願いして良かったと思っています。
さて、遺伝学者という最近の私の肩書きから言わせていただければ、生物は少なからず他の生物を食して生きていきます。植物ですら光合成だけでは生きていけません。これは生物に課された宿命で、誰も何も逃れるとはことはできないのです。ビーガンになっても他の命を食うことによって生きるわけです。つまり、この問題については諦めるしかないと思います。
こんな話ができるのもさんさんの寄稿のおかげです。ぜひ懲りずに続けてくださいね。

さんさん さんのコメント...

管理人様、温かいお言葉ありがとうございました。

そりゃそうですよ、他の生命を侵さなけりゃ自分が生きていけない、これは永遠の真理なのですが人間の場合そこに欲が絡まる。肉食獣の王様ライオンだってお腹がいっぱいならばレイヨウの子がそこいらひょこひょこしてたって目もくれない。
「あれうまそうだから今食わないけれど陰干しにして食べるときにはちょっと炙って食うとうめぇんだ、おし」なんて発想はしないしましてライオン株式会社レイヨウ飼育農場なんて大量飼育して海外にも進出、なんて欲はかかない(だろう)。

そこへいくと人間は欲の前には無惨残忍、肉牛の生産過程などは目を背けたくなるシーンの連続であります。

とりあえずあれ書いてこれ書いてそれ関わりであっちへ飛んで、なんて胸算用はできてはおります。
私がぺけぺけ書いてる時はそれをすぐに登場させずにしまっておいて管理人さんが「なんか今日は気が乗らねぇなぁ」なんてときに打打者的て代役させる、なんてのも大いにありかと。今かけると思ってもスランプってものは誰にも来るなんて高名なプロの書き手さんも書いていますよね、まして私みたいは老人かつ病人プラスの怠け者はどこで倒れるか分かったもんじゃない、のであります。人は使える間に必死にコキ使え、って誰かも言ってました。