ラトビアでは多くの家族がサマーハウスを持っている。
それぞれの独立した家族がと言うよりはおじいちゃんおばあちゃんが持っているからみんなで使うとかそんな感じである。
我が家のサマーハウスはちょうどリーマンショックの数年後に不動産価格が落ち込んだときに購入したものである。その当時で建物はすでに40年以上経過していたので今では築50年以上となっている。だが、購入時に内装はフルリノベーションしたので今でも快適に住むことができる様にしてあるのである。
大抵のサマーハウスにはりんごの木が植えられている。我が家のサマーハウスにも当初は4本のリンゴの木があって、一本はその後にビーバーに寄って切り倒されてしまったので今では3本である。このリンゴの木は隔年で実をつける。今年はその実をつける年なので大変である。
このリンゴは直径5cmぐらいにしかならないとても小さな品種でその名も「お砂糖ちゃん」。とても甘い。ぴえちは日に2ー3個拾ってはムシャムシャ食べている。 |
6 件のコメント:
管理人さん こんにちは。
落ちたリンゴの数にびっくりです。梅の実は自主的に?ある程度の実を落として、残ったものを実らせるといいますが、リンゴも同じなんでしょうかね。これだけの量が落ちると本当に大変です。
ドルスキニンカイのレポート、興味深く読みました。ツェッペリナイは自分で作るにはかなりハードルが高そうです。焼くのかと思ったら茹でると書いてあり、お鍋の中で分解事件が起こりそうな予感です。
お友達の生き方、素敵ですね。衣類は質の良いものを買うと長持ちしますしどちらかというと昔の衣類の方が長持ちしてします。衣類に限らず手入れして丁寧に扱って必要な物だけで暮らすという身軽な生き方には憧れますが、雑念が多すぎて実現不能状態です。
こんにちは、紫陽花さん。
多分梅と同じ感じなんでしょうね。何しろ古い木なので生理現象のように実をつけて落としてと言う感じです。本当に収穫したい場合はせいぜい背丈ぐらいにしかならないように調節する様です。
ツエッペリナイはリトアニア人でも作るのが大変な様ですよ。私も分解事件が起こりそうな気がしてチャレンジしていません。
なんとなく、こんなにものをたくさん溜めていていいのだろうかと思います。なんとか身軽になりたいものです。
毎年今頃じゃなかったですか落下りんごでシードル作りが話題になるのは?
あれもねぇ、いくら甘いりんごでも成長したりんご丸々一本分のりんごなんて
二人じゃ食べきれませんしねぇ、マーケットに露店出して売るなんて手もありますが売るには売るでまた別の手間と付き物の人間関係がある。
私の母方の親類はみんなりんご農家でしたが今じゃあどうなったことやら。
連中は食べきれない売れないリンゴは皮剥いて薄く、さぁ2、3ミリほどだったか、切ってザルに並べて干しリンゴに、あるいは専用の冷蔵庫に収納して12月お正月ごろにドンと利をかけて
こんにちは、さんさん。
いやー、何しろどこのサマーハウスにもリンゴの木は2−3本植わっているので露店出しても売れないんですよ。ま、無農薬なので何か作ろうかとは思うのですが、せいぜいジャムぐらいですかねえ。まあ、落ちたてのリンゴをガリリと丸齧りするのが贅沢そのものですから、それでいいかなあとも思いますです。
まぁりんごの木のオーナーが、というより木という命にはオーナーなどいないからその木が植わって居る土地の仮の所有者である管理人さんが「それでいいかなぁ」とおっしゃればそれでいいんじゃないでしょうか。
りんごの木の身になれば実はあくまでも繁殖の手段、種が芽を出す時親木から遠く離れたところまで甘い果実を食べて種まで食べてくれた動物がお腹の中で運んでくれさえすればそれでいいこと。
親とすれば種が離れたところで芽を出してくれさえすれば後のことは知らん、って。しかしこの命の循環を考えた時私の中で「やっぱ無神論てまずいんかなぁ?」という小さい、あくまでも囁く声が聞こえます。自然って物凄いシステムを運用していますもんねぇ。 でもねぇ禅宗って神も仏もあるものか、そんなこと考えるお前そのものからして存在しない。。。って物凄いこと教理にしてますもんね。
あ、こりゃまたひち面倒臭いことを、失礼いたしました。これ喋り出したら永遠のいがみ合いになってしまう。各人が心の中でひっそりと思えばいいことでござんした。
こんにちは、さんさん。
今日、えっちらおっちら落ちたリンゴを片付けましたよ。ネコ車が大変役立ちました。それでもかなり腰痛です。
いや、神様とか仏様とかの存在についてはノーコメントです(笑)。ただ、困った時や追い詰められた時に祈る対象があるかないかはだいぶ違うのかなと思います。私の宗教観はそんなくらいのものです(笑)。
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