教育の現場でAIの使用をどうしたらいいのだろうかという問いには、とりあえず管理人の所属する大学では明確な答えはない。ただ、研究者の分野では「AI使わないと損じゃない?」という風潮である。英語ネイティイブじゃない研究者が英語で論文を書くときにAIを使ってちゃんとした英語にしてもらったりとかアカデミックな言い回しに変えてもらったりとか、できるからである。
え?先生もAI使ってるんなら学生も使っていいんじゃないの?
普通はそう思うはずである。そしてそれはその通りだと管理人は思うのである。
今の世の中、AIを使いこなすことができないと仕事は効率化できない。AIなんかに頼らなくても創造性が一番でしょう、と言える特に一握りの若者だけが成功するのであろう。
今の世の中、AIを使いこなすことができないと仕事は効率化できない。AIなんかに頼らなくても創造性が一番でしょう、と言える特に一握りの若者だけが成功するのであろう。
ただ、少しは勉強しておかないとAIも使いこなせないということである。
AIに聞くにも知識は必要なのだということをわかって欲しいものである。
4 件のコメント:
ああ、よかったぁ。後数年で寿命が尽きる(はず)の私にはもうはやそのアルファベット3文字の何たらかんたら言うことも覚える必要もない、携帯で駅からの道調べて来てくださいと言われることもない。
ここ宮崎では、まぁ県庁所在の都市では知りませんが基本ここには田舎も都市もない、ただ日向一色でありますからして道を聞けば奥の事務所から出てきてああだこうだとこわしく教えてくれる。尋ねる先が知り合いだとそのまま自分の店はおっぽり出して訪ね先まで同行しちゃう、でも何事も起こらない。
なんか二十一世紀の日本にこんなところがあることが信じられない。東京で
道尋ねるとほとんどの場合「知りません」と言う返事、ひどい時は「ワタシ日本語ダメ」と完璧な日本語で返事してくる。
まるで全世紀60年代のNYがそうであったと伝えられるように道路に血を流した男がヒクヒクしていても誰も気にも留めない「フリ」で通り過ぎて行くのがお約束だったとか聞くアメリカの様な他者阻害の社会になっているみたいだ。
管理人さん こんにちは。
多分人間の能力学力は低下してしまうと思います。頼るものがあれば楽な道を選びたくなるものです。我々の年代はパソコンもスマホもまだない時代を経ての今です。自力で身に着けたものが多いはずです。多少は若者とは違う取り組み方が出来るのではないかと思います。
昨日の新聞に2050年にはスマホも無くなり目に情報端末を付ける(スマートコンタクトやスマートグラス)ことになると予測しているという記事がありました。さんさんではないですが27年も生きているとは思えないので乗り遅れたりする心配は無いですが想像が出来ない世界です。
こんにちは、さんさん。
日本の地方はゆっくりと時間が流れている感じでしょうね。まあAIとかに関して言えばさんさんだけでなく私も逃げ切れる感じですね。携帯電話も昔はなかったわけですし、インターネットもなくて、今は誰もが使ってますから割とすぐにAIはそこここにあるような感じになるのでしょう。
道をきくといえば、うちの旦那が日本で道をきくと聞かれた人が行き方を知らなくても英語わからなくてもなんとか回答しようとしてすったもんだしていて、「知らないなら知らないと言ってくれた方が次の人に聞くからいいのに」とぼやいていました。外国人には優しいのかもしれませんね。
こんにちは、紫陽花さん。
そうですよね。私が大学院生の頃は論文をたくさん読む先輩ほど尊敬されたものですが、今は論文を読まずにAIに「この論文の主旨は何か」とか「方法について説明して」とか問いかけると答えてくれるんだそうです。それを時短と称しているところが哀しいなあと思います。
2050年には私も到達できるかどうか微妙です。世の中の技術が発達して想像できない便利な世界になっているのは素晴らしいと思います。車も空を飛んでいるかもしれませんね。
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