人生には計画して予行して実行に移すような慎重な行動が必要なシ
なぜ住み慣れた故郷を離れてそれもオーストラリアへ? と尋ねられてもなぜ人類は発祥の地のアフリカを離れて地平線の彼 方へ何の保証もないままに旅立ったのか? という問いの答へはまだ無いように
わたしのちっぽけな人生の軌跡を”なぜか” と誰でもが納得する答は今でも見つかりません。
つくづく自分というニンゲンの内側を眺めると多分これも一つの要 素なのかも…と言える心の傾向は見つかります。
一つは好奇心が強い、 JALの飛行機を飛ばしている機長さんの一人に航空大学を卒業し た後貨物船から荷物を艀に積んで岸壁まで持ってくるあれは沖仲士 というんですかね、 に就職してからJALに転職した方がいらっしゃるそうですがこの 人も「仲士はどうしても一回やってみたかった」 のだそうで好奇心は人間の行動を決める大きな要素の証拠ともいえ ます。
もう一つはわたしの子供の頃は移動がものすごく大変だった、 東京から大阪に行くのですら新幹線なんかないし飛行機あったのか なぁ、多分国内線なんかなかったと思います。 東海道線を夜汽車で8時間。
そんな時期に思春期を迎えたわたしは「 あの海の向こうはどうなっているんだろう」 という憧れにも似た好奇心がいつも胸の中にありました。 何しろ白いワイシャツ着てネクタイしてエラソーな顔していない白 人てどうなの? という好奇心だけで大して残っていない小遣いを叩いて横浜港へ行 って上陸しないでデッキに佇んでいるヨレヨレのセーラーを見て「 そうか、基本は変わらないんだ」 と興奮したりしたものであります。
それともう一つは都会に育っただけに自然への憧れが人一倍だった 。薪の煙が微かに漂う空気を吸って恍惚感を感じる、 そんなガキでもありましたよ。
そんな要素を持つわたしがあれもこれもと世間に揉まれて「 自分の底から出てきた答えを持ってきなさい。 頭で考えただけの浅智慧なんか役に立たん」 と言われ言われてようやくトレセンを卒業して住職になってみると そこにあったのは本山の宗務課からの”ご指導”、 そして基本の流れは江戸時代から変わっていない村社会の人間関係 と政治的?策略。 まさに菜の花の沖の第一巻に出てくる本村と今在家の若衆組の対立 。
ニホンというものをまるで知らなかったのだなぁと天を仰いだもの でありました。
そろそろ四十代も後半、 ここで一つ勝負を打たないと我が人生悲惨な妥協一色で染まってし まうぞ、と思ったことが一番大きな動機だったように思います。
いくつかの国を候補にして図書館で、 まだその頃はGoogle様なんて神様みたいな存在はありません からね、情報を集めてなしなしの金を集めて飛行機で上京して( なにしろ外出中に僅か70軒とは家どなたか亡くなったらえらいこ とですからね、ケータイなんてものもなかったなぁ) 候補の国の大使館を訪問してわたしの状況で移民が受け入れられる か尋ねて歩いたものでした。
その国の中で手触りが一番暖かで「技術移民」 の枠に入るよと言ってくれたのがオーストラリア。 枠があるというのは大きな希望でしたがそれ以上に応対してくれた 館員、 英語のテストを兼ねて言葉切り替えましょうかって言ったら「 いやわたしは訛りがひどくてとても君には聞き取れないだろう」 なんて。 オーストラリア訛りなんてのがあることも知らなかったわたしであ りましたが真面目に一生の決断を決めるために訪れたわたしに対面 してくれる誠意が感じられて。
考えてみれば決断なんて大事みたいだけれどたまたま面談した大使 館員に温かみが感じられた、 そんな偶然が大きな要素になっています。 もしあの日たまたま同じ人でも歯が痛かったりしたらきっとわたし はどこか他所に行っていた、理性での判断と直感の絡み合い、 そしてそこに決定的は影響を持つ「運、 とくに運が人生に与える影響は恐るべきだと思います。 そう考えると人間は昔も今も地球のどこにいてもそれなりのカミサ マを持ちそのご機嫌を損ねないよう気を遣ってきたわけだと納得で きます。
| 写真はTweed川、 |
11 件のコメント:
さんさん、こんにちは。
そうですよね、ネットも携帯もない時代に外国へ移り住むためには、足で情報を得るしかないですよね。でも、そこまでさんさんを突き動かしたのは好奇心だったんですか?
運とか縁はありますね。特に縁を強く感じます。偶然性というのも感じます。
なかなか思いたっても実行できないことが多いし、特にしがらみで思っいたっても実行できない・・・それを理性と言っていいのか自制心と言っていいのか決断力に欠けるといった方がいいのか・・・ことが多いなかでやり抜いてしまったさんさんには今の若者にな無いスケールを感じます。ネットも携帯もない時代だったからこそ出来たことかもしれません。今の世の中はすごく便利になり情報もたくさん手に入れることが出来るようにはなっていますが、小粒な人が多いような気もしています。
東海道新幹線が出来る以前の昭和39年ごろまでは東京~大阪間はつばめという特急列車が走っていました。特急券を買うためには駅に割り振られた今でいうとみどりも窓口に発売日に並んで買わなければなりませんでした。母が実家である東京(以前さんさんの話に出ていた霞町の近くの高樹町)に帰省するときは父が朝早く駅に行って買ってきてくれていました何が楽しみと言って冷凍ミカンを食べることでした。
昭和40年そこそこの頃はプロペラ機で東京と関西を結ぶ便がありました。一度だけ乗ったことがありましたが機内で出されたのはサンドイッチでした。古き良き時代の思い出です。
さんさん様、妥協しないってことですか!いや、好奇心を抑えられない感じ、嘉兵衛みたいです。そしてご縁なのですね。人だけではなく国もご縁で繋がる。直感、運、すごいなぁ!
どこかへ行きたいと思いつつも方向音痴で30年引っ越しもしてません。
管理人様
もちろん好奇心だけじゃないですよ、やはり人を動かす最高の動力は好きだ嫌いだの感情からではないでしょうか。
自然の中に浸っていたい、それも山に行くなんて特別の時だけではなく常時、と思ってお受けした山寺の住職のポジションが江戸時代から続く地主対小作人の恩讐のせめぎ合いの境目にあって
身を守れば両方に都合がいいように、思うことを言えばあっちからもこっちからもタマが飛んでくる、都会とは縁がない閉鎖社会の人間関係を理解していなかった私でした。
それとねぇ、知らない人でも口伝え「ああ、彼の方の御二男さんで…」これわたし最高に嫌い、身震いするほど。誰の次男だろうと俺は俺、いいとこはいい悪いところは悪い、いいも悪いもひっくるめて我という人間があなたと対面しているのでどこのうちに生まれて、なんて話はわたしには関係ないッ、と叫んでも相手にしてくれないのがこれもまた世の中というやつ。
紫陽花様
いや世の中みんなわたしのようだったらこれまた大変なことになりますよ。したくてもできない、思い立っても捨てるものが多すぎる…のが標準で雑誌や新聞種には良くってもわたしのような生き方はお勧めできません。
わたしは幸いにも運に恵まれて”食えなくなる”って恐怖は当地では経験せずに過ぎましたが
移民を実行された、特に戦後満州からの引揚者を計画的に南米に送り込んだ「国家」というものの情け知らずは考えただけでゾッといたします。
きゃーーーっ、懐かしい高樹町。じゃぁ霞町の交差点にあったドイツレストランもご存知ですね。あそこの旦那の娘確かハナだった、綺麗だったなぁ好きだったなぁ。片想いです、デートの誘い出す知恵もなかった高校生の思い出です。
megmeg様
人が人生で一番エイヤって深淵を飛び越える決断をするのはなんと言っても初恋の告白をしようと決心する時じゃないですか。
うじうじじくじく考え込んで結局最後はえいやっ。
「嬉しい、いつ言ってくれるかと…」なんて運のいい人もあり「すみません、お元気でいてください」なんて返事が来ることだって。
「まぁこの感じだと七分三分でいけるかも」なんてのは経験が深まらないと判断がつかないしそれが読めるようになっちゃ初恋の可愛さはなくなる。
やっぱわたしは運が良かったのでしょう。こればっかは人に分けてあげるわけにもいかないしねぇ。
あのオーストラリア大使館員のおじさんに感謝です。
わたしも最初のバナナ農場には二十八年住まいしましたし次の人生最初の自分で建てた家には15年いました、しかもどっちの家も売る時には値上がりしていてウハハ、やっぱ誰のおかげかわたしは運がいいんですね。
さんさん様、かっこいいなぁ~!
megmegさま
わっ、ありがとうっす。
私は管理人さんのファンだけど今度は私のファンができた?
「つけあがるんじゃねぇっつぅの」との声が聞こえる。はぁーい。
さんさん様、私ずっとファンですよ!
ありがとう、うれぴぃ
って言うんでしょ?若い人は。
さんさん様、お若いですね~。私は職場で「明日は旗日だからね~」と言って、若い子の頭の上に?マークが出てました。私の祖父は祝日に国旗を飾る人でしたから旗日と言っていたけど。今は都バスくらいですかね~、旗飾るの・・
コメントを投稿