Home » リガでの暮らし » 花冷え
リガは地味に花盛りである。
楓の花も咲き誇っているし、梅の花が満開である。レンギョウも咲いている。クロッカスがもう終わりで地植えのチューリップが開花してきている。
ところが、リガは現在、花冷えとも言える冷たい温度に包まれている。夜は0℃近くなり、日中でも一桁の気温である。ぴえちの散歩でもいちいち出かける前に温度を確認してダウンジャケットにするのかどうかを決めなくてはならない。ヒートテックの全身タイツ状態からも抜け出せない。
ただ、気がついたら日はだいぶ長くなった。日の入りは20:30である。
「日の入りは20:30であった」の一行で"ああ、北極に近いところにお住まいなんだなぁ、でも夏も近いんだなぁ」と分かります。 やっと回りくる短くも涼しい夏、それでもあの食いつくような冬の寒さに比べれば、、、何度も書いたことですが我々のご先祖方は何を求めて暖かいアフリカの地を離れて北を目指したのだろう。しかも寒くなってきたら引き返せばいいのにその気配もないまま極寒の地に住み続けていらっしゃる、寒さ以上に人を押し留めるのはやはり命の危険では?人類の敵は人類、なんてことも申しますものねぇ。
こんにちは、さんさん。そうなんですよね、夏至祭へ向けて日がどんどん長くなっていきます。人類がアフリカを出た理由は抗争ですね。「ここは俺らが住むんじゃい、お前らはでてけ」を各地で繰り返した結果と言われていますね。でもまあ、何もこんなに寒い地域にまで追い立てられなくても良さそうなものを、と思います。
ははぁ、そうですか。 ジンルイという種はつまりそも始まりから争いと共にあり争うことで己を強くしてきたんですねぇ。学生の頃1964年の安保改定の時それこそ学内はタテカンに埋め尽くされていました。今時の方はタテカンと言ってのお分かりにならない? 各種団体、全学連とかがそれぞれの主張をベニヤ板に貼った模造紙に書きなぐって、要するに広告ですな、米帝を倒せ!とかね。学生はこのタテカンのトンネルをくぐって校舎に入ったものですが巨大なポスターを見るにつけ「平和を叫びながらこれも暴力闘争の一部分じゃないか」などと思ったりしたものです。まぁそんなことを口にすると”日和ってるやつ”とが言われてゲバに巻き込まれてはたまらないから。え?ゲバもわからない?ドイツ語のゲバルト、暴力の略です、ほんとこんな中で授業が行われるのが不思議な雰囲気でした。テレビも新聞も毎日”議事堂前でまた学生荒れる!なんて記事がでかく一面に掲載されていましたっけ。そうすれば人間同士の争いで「もうヤダ、俺たちゃぁ出ていく!」となった人たちがいたには理解できます。しかし戦争があるたびに科学が発達すると言われる通り争うことで手の中の力を大きくしたこのニンゲンという生き物, 何か絶望的な気持ちになります。
こんにちは、さんさん。そうなんですよ、弱いものたちは生き延びるために北へ北へと襲われなくて済む土地を求めて行ったわけです。ゲバは知ってます(笑)。私の幼少時も学生運動とかのニュースは結構たくさん流れていたように記憶しています。人類といえば、今でこそ北欧の人たちはデカくて強そうなバイキングみたいな感じですが、アフリカから北へ北へと行った頃は栄養も悪くてきっと貧弱な人たちだったのだと思います。ラトビアもそうですが、民族博物館などへ行くと子供のベッドかいな?という小さなベッドが置かれていたりします。栄養状態が改善された今では遠近感が狂うほどの背の高い大きな強そうな人たちばかりです。面白いですよね。
コメントを投稿
4 件のコメント:
「日の入りは20:30であった」の一行で"ああ、北極に近いところにお住まいなんだなぁ、でも夏も近いんだなぁ」と分かります。 やっと回りくる短くも涼しい夏、それでもあの食いつくような冬の寒さに比べれば、、、
何度も書いたことですが我々のご先祖方は何を求めて暖かいアフリカの地を離れて北を目指したのだろう。
しかも寒くなってきたら引き返せばいいのにその気配もないまま極寒の地に住み続けていらっしゃる、寒さ以上に人を押し留めるのはやはり命の危険では?
人類の敵は人類、なんてことも申しますものねぇ。
こんにちは、さんさん。
そうなんですよね、夏至祭へ向けて日がどんどん長くなっていきます。
人類がアフリカを出た理由は抗争ですね。「ここは俺らが住むんじゃい、お前らはでてけ」を各地で繰り返した結果と言われていますね。でもまあ、何もこんなに寒い地域にまで追い立てられなくても良さそうなものを、と思います。
ははぁ、そうですか。 ジンルイという種はつまりそも始まりから争いと共にあり争うことで己を強くしてきたんですねぇ。
学生の頃1964年の安保改定の時それこそ学内はタテカンに埋め尽くされていました。今時の方はタテカンと言ってのお分かりにならない? 各種団体、全学連とかがそれぞれの主張をベニヤ板に貼った模造紙に書きなぐって、要するに広告ですな、米帝を倒せ!とかね。学生はこのタテカンのトンネルをくぐって校舎に入ったものですが巨大なポスターを見るにつけ「平和を叫びながらこれも暴力闘争の一部分じゃないか」などと思ったりしたものです。
まぁそんなことを口にすると”日和ってるやつ”とが言われてゲバに巻き込まれてはたまらないから。え?ゲバもわからない?ドイツ語のゲバルト、暴力の略です、ほんとこんな中で授業が行われるのが不思議な雰囲気でした。
テレビも新聞も毎日”議事堂前でまた学生荒れる!なんて記事がでかく一面に掲載されていましたっけ。
そうすれば人間同士の争いで「もうヤダ、俺たちゃぁ出ていく!」となった人たちがいたには理解できます。
しかし戦争があるたびに科学が発達すると言われる通り争うことで手の中の力を大きくしたこのニンゲンという生き物, 何か絶望的な気持ちになります。
こんにちは、さんさん。
そうなんですよ、弱いものたちは生き延びるために北へ北へと襲われなくて済む土地を求めて行ったわけです。
ゲバは知ってます(笑)。私の幼少時も学生運動とかのニュースは結構たくさん流れていたように記憶しています。
人類といえば、今でこそ北欧の人たちはデカくて強そうなバイキングみたいな感じですが、アフリカから北へ北へと行った頃は栄養も悪くてきっと貧弱な人たちだったのだと思います。ラトビアもそうですが、民族博物館などへ行くと子供のベッドかいな?という小さなベッドが置かれていたりします。栄養状態が改善された今では遠近感が狂うほどの背の高い大きな強そうな人たちばかりです。面白いですよね。
コメントを投稿