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2025年10月29日水曜日

久しぶりにお絵描き

夏の間にお絵描きを存分に楽しむ予定だった管理人である。
だが、実際に描けたのはほんの少しで、なんというかあれも書きたいこれも描きたいと欲張りすぎたのが原因のようである。そこで原点に返ってワンコやニャンコの肖像画を描くことにしたのである。ワンコやにゃんこの肖像画は描いていてとても楽しい。きっとこのあたりの毛はふわっとしてるんだろうなとか、この真っ直ぐこちらを見つめる目は何を要求してるのかなとか。

そこで友人の猫ちゃんを描かせて!とお願いして描き始めたのである。

ふわふわの長毛種の猫ちゃん。これは下絵。

 これからアクリルで色をつけていくのだが、いつも色付けはなんとなく始めることが難しい。ちゃんと描けるのか心配になるのである。ということでブログでも宣言して、「あの猫ちゃんの絵どうなった?」と時々喝を入れていただきたいと思うのである。

2025年10月13日月曜日

リヨン@おフランス2025_食べ物編

 リヨンは美食の街、ということで特にリヨンっぽいものを選んで食べてきた管理人夫婦である。

リヨン風サラダ。ポーチドエッグが載っているのが特徴ではあるがそれよりも「これでもか!」と載っているカリカリベーコンの量がすごかった。もはやサラダではないボリューム。

クネルという魚のムースのようなもの。巨大なエビしんじょのようなムースをロブスターの濃厚ソースで食べる。なかなか美味しい。このほかにもカタツムリのクネルとかカエルのクネルとかもある。管理人はカエルのクネルに挑戦したがあっさりとした味であった。

牛の胃袋、日本ではハチノスと呼ばれる部位を揚げ焼きにしたもの。食べかけ画像で申し訳ないが、サックサクの衣を退けてみると粒マスタードがふんだんに塗られている。内臓系なのに美味であった。

フランスといえば生牡蠣。これで二人分。生牡蠣は5種類の牡蠣を一人2つずつで合計10個。こんな量をバルセロナで食べたら間違いなく当たってしまう。だが、フランスなら大丈夫。リヨンのような内陸の都市でもフランスなら大丈夫。


ありとあらゆる臭いチーズが並ぶポールボキューズ市場。この小さいやつが山羊系でワインにすごく合う。

左側に見えるタルトがリヨンの名物らしいが管理人夫婦は甘いものに興味がないので写真だけ。どんな味なのかはわからない。

全体的にレストランはリーゾナブルなお値段であった。メインが20ユーロぐらいで大抵のブションと呼ばれるリヨン風レストランではセットメニューがあり、前菜とメインで23ユーロぐらい、前菜とメインとデザートで28ユーロぐらいであった。だが、結構量が多いので管理人夫婦はメイン単品ばかりを注文したのであった。それでも食べきれない量であった。

2025年10月10日金曜日

リヨン@おフランス2025_街並み編

 リヨンはフランス第二の都市でありながらとても落ち着いた街でフランスの良いイメージを凝縮したようであった。パリのような巨大すぎる建築物もほとんどない。二つの有名な丘があり、管理人夫婦はそのうちのフェルベールの丘へロープウエイで登ってそこからダラダラと丘を降りて散策したのであった。有名観光スポットは一番遠くても30分も歩けば到達できるので観光はほぼ徒歩で完結できる。メトロもトラムも十分に張り巡らされているが、散策したほうがより街を散策することができる。

左上、リヨン市庁舎。中央上、フェルベールの丘にあるローマ遺跡。ここの博物館も面白かった。右上、躍動感溢れすぎる馬の噴水。中段左、フェルベールの丘の上に立つノートルダム大聖堂。中段中央、街中の教会。リオンの教会は皆白い壁てとても美しい。中段右、フェルベールの丘からリヨンの繁華街を望む。左下、リヨンといえばポールボキューズ。本店のレストランは高すぎて行けなかったがポールボキューズの名を冠した市場へは行ってきた。たくさんのバーやレストランも併設されていて楽しい。中央下、トラブールと呼ばれる隠し通路。旧市街のあちこちにある。隠し通路の入り口には看板が掲げられているのでガイドが居なくても通り抜けることができる。だが、午前中だけ。右下、リヨンはサン=テグジュペリでも有名なので星の王子さまもあちこちにいる。

リヨンにはその名の通りたくさんのライオンの像がある。教会の入り口だったり主要建造物にもライオンのモチーフを見ることができる。それから街はとても小綺麗であった。ゴミが落ちていることもほとんどない。若者が雄叫びを上げていることもない静かで落ち着いた街であった。

次回は食べ物編。

2025年10月8日水曜日

リヨン@おフランス2025

 さて、何故フランスはリヨンへ行ったのかというと、美食の街だと聞いたからである。

綺麗な街並みと美味しい食べ物と美味しいワイン。この組み合わせなら休日の旅にもってこいだと思ったのである。

リヨンという街はフランス第二の規模の都市である。ローヌとソーヌという二本の河が流れる昔からの流通交通の要所である。管理人はもう25年ぐらい前に実はリヨンへは来たことがある。国際学会へ参加するためでリヨン観光は1日もできなかったタイトスケジュールであった。唯一覚えていたのは「川があった」と「コデュローヌというワインが美味しかった」ということだけである。美食の街のはずなのに食べ物の記憶はない。

そんな訳で全く訪れたことのない土地へ旅行に行く気分で臨んだ旅行であった。5泊6日で丸4日間は観光に充てられるという状況である。まるまる4日は

  1. リヨン2区(繁華街)からリヨン美術館へ歩く。美術館鑑賞後リヨン風居酒屋の集まる通りで昼食。ホテルまでぶらぶら街歩きをしてショッピングと飲み。特にリヨンにはユニクロの店舗があるのでヒートテックやらを買い込む。ホテルで一休みして夕食を近くのレストラン。
  2. 予約してあった丸一日ワイナリーツアーへ参加する。ローヌ川の上流に位置するエルミタージュという葡萄の産地とワイナリー。ガイドさんの厳しい質問に耐え抜いてローヌ川右岸と左岸の違いを学ぶ。
  3. ホテルから旧市街にあるケーブルカー発着所まで歩いてケーブルカーに乗ってフェルブールの丘へ登る。そこにはノートルダム大聖堂がある。そこからのリヨンの街の眺めを楽しむ。そこから丘を緩やかに降りつつローマ時代の劇場遺跡と博物館へ行く。そこから丘を歩いて降りて旧市街へ行く。旧市街でご飯を食べてショッピング。そこから歩いてホテルへ帰る。
  4. 3日目の旧市街で「トラブール」と呼ばれる街中の抜け道を見損ねたのでそれに再チャレンジするために再度旧市街まで歩く。トラブールを満喫したのちにそこから歩いてポールボキューズ市場へ向かう。そこでおフランスの臭いチーズを買い、生牡蠣を白ワインと共に流し込む。近くの薬局で「おフランスの薬局コスメ」を買う。ホテルへはタクシーで帰る。

といったような内容である。詳細は明日以降。


2025年10月5日日曜日

おフランスでCovidを貰って帰ってきた

 5泊6日でフランスはリヨンへ旅行していた管理人夫婦である。

リヨンはフランス第二の都市なのだが、そこそこ混雑もしておらず、快適に観光することができたのであった。この話はまた後日ということで。

表題通り、リヨン旅行でCovidウイルスを貰って帰ってきた管理人夫婦なのである。

管理人は旅行3日目ぐらいから喉に違和感を感じ、持参していたフィッシャーマンズフレンドという喉スッキリ系のドロップというか甘くないやつを常時舐めていて事なきを得るわけである。熱もないくしゃみは出るが喉がそれほど痛いわけではない。朝晩が10度以下になっていたのでそのせいかとも思っていたのであった。ただ、念の為に帰りの飛行機の乗り継ぎではラウンジでスリーピングルームという個室を使わせてもらったのであった。

リガへ帰ってきて旦那も調子が悪いというので念のために自宅にあったCovidテストをしてみたところ陽性であった。月曜日に帰ってくるはずのぴえちも2−3日延長で預かってもらうことにしたのであった。今週前半は家で回復に専念するしかない。スーパーにデリバリーを頼んでお篭りスタンバイである。

現在流行っているコロナはオミクロン株と大差ないということである。実際管理人の症状もかなり軽い。ワクチンの効果かどうかもよくわからない。ただ、旅行中に熱が出たりしたら最悪である。そういう観点から管理人はcovid-19に関してもインフルエンザに関してもワクチンは打つことにしている。ワクチンの効果に懐疑的な人もたくさんいる。ワクチンを打たないのは自己判断である。ワクチンを打ったからといって感染しないわけではない。そんな効果はないからだ。コロナとインフルエンザのワクチンは罹患した時の症状を和らげるだけである。いつ罹患するのかはわからない。今回の管理人夫婦のように旅先で罹患することもあるわけである。そんな時に高熱が出たりという症状を和らげる可能性があるのなら管理人はワクチン接種を続けるつもりである。ワクチン接種はリスク管理だと考えているのである。ワクチンの話を始めると言いがかりをつけてくる人もいる。不安なら医者と相談すれば良い。それだけである。かかりつけ医の話が信用できなくてネットでまことしやかに何かを言っている記事を信用するのなら一生病院に行くなと言いたいぐらいである。

何やら話が逸れたがLyonはとても素敵な街であった。次回レポします。


2025年9月22日月曜日

老後

 還暦を迎えてからずっと考えているのは「老後」である。

もう老後に突入したのかどうかはよくわからない。年齢的にはそうだろうけれど経済的な観点で見たらまだ働いているという意味では老後ではない。欧州は年齢による就業差別を禁じているので建前上引退は自己判断である。そう言う意味で老後は自分で決めるものなのである。

それでも還暦という節目は東西を問わず節目であって、人生を見直したり今後の計画を見直したりする良い機会である。

早めに引退して若者に道を開けるという感じは欧州でもある。だが、それよりも自分がどこまで働けるか働きたいかという自己判断に委ねられていてこれが普通になっている。こんな年寄りがいつまでもここで働いていたら若いものに迷惑をかける、というようなセンチメンタルなものは一切ない。ただ、自分がその職場の基準以上に働けるかどうかである。パフォーマンスが基準以下になったら普通に「もう退職した方がいいんじゃ」的なことを通告される。そんなもんである。

そんな感じなので、大学では70歳を超えると色々と肩たたき的なアクションが出てくるらしいが、裏を返せばそのぐらいまでは働けるわけである。だが、それは70過ぎても教授でいられるかというとそういうことではない。教授を続けるには規定があって論文数やら何やらで縛りがあるのである。それを満たせばずっと教授を続けられる。まさに成果主義である。

管理人はそういう成果主義は良いと思っている。65歳になったら研究の機会を奪われる日本のシステムは間違っていると思う。


2025年9月21日日曜日

サマーハウス、また来年。

今週末が今シーズン最後の20℃越えとなったラトビアである。

ここから先の予報ではもう20℃へ戻ることはなさそうで、来週末ぐらいからは最低気温が10℃を下回ることもあるらしいのである。そうなるとサマーハウスは実質上閉鎖するわけである。外で使っていた椅子やテーブルを家の中に入れ、芝刈りロボットを洗って、冷蔵庫や冷凍庫をシャットダウンするために中身を全てリガへ持ち帰る。大切なのは冷蔵庫や冷凍庫は電源を切ってドアを開けた状態にしておくことである。管理人は布巾をドアの上部に挟んで閉まらないようにしている。これを怠ると来季にカビだらけの冷蔵庫と対峙することになるのである。洗濯用洗剤とか食洗機用のタブレットとかも回収対象である。マイナス20℃近くなる冬を経ると凍ったり溶けたりを繰り返してタブレットのセロファンみたいなやつがダメになることがあるからである。

ハンギングバスケットの花もまだ咲いている。これは軒下から雨の当たる場所へ移動させて少しでも存えてほしいと思うわけである。 

本格的にサマーハウスをシャットダウンするのは11月ぐらいである。その時は専門の職人さんにパイプなどの水抜きをしてもらうことになる。

今シーズン最後のバラ。シーズン最後なので花も小さめ。漆黒の闇をバックに撮ってみた。日はどんどん短くなって夜9時ともなると天の川が綺麗に見える。


2025年9月10日水曜日

落ち葉と夏の名残り

 気温は鋸の刃のようなカーブを描きながら少しづつ秋へと向かっている。

だが、一気に下がっていくわけではなく、ガクッと下がってからまた元に戻って少し下がって、安心しているところにまたガクッと下がって元に戻ってを繰り返すのである。

木々は少しづつ紅葉の準備をしているようである。菩提樹はもう落葉が始まっているので菩提樹並木があるような場所では秋の雰囲気を醸し出しているのである。ツタはまだほとんど緑でところどころの赤い葉が見える。

確実に秋が進行しているのだが、気温は25度ぐらいになったりする日もある。管理人家ではここ数年では珍しく9月でも週末はサマーハウスで過ごせている。先週末は月食を楽しんだ。秋口は天体観測が楽しめるラトビアである。夏は夜も空が明るいので星を見たりするのは難しいがちょうど今ごろからは天の川を見るのに最適なのである。

2025年9月1日月曜日

9月

 9月1日はラトビアも新学期の始まりということでにわかに活気を帯びる日付である。

学校が始まる人いうことで管理人の勤める大学では学童のいる人は9月1日に特別の休暇をとって子供の学校に付き添うことができるようになっている。街はたくさんの人で溢れ誰も彼もがなんとなく希望に満ちているような表情で行き交っている。スーパーで買い物をしただけで「ハッピー9月」とか店員さんに言われるぐらいの感じである。

9月1日には花束を持って登校するのが慣わしのようであるが、今年は雨続きの夏だったので国産の花が追いつかずに輸入の花をだいぶ入れたというニュースも読んだ。

森はヘザーが満開である。まだ木々は緑だがところによっては部分的に紅葉も始まっている。

留守にしていたリガのアパートで健気に開花していた胡蝶蘭。3鉢同時に満開で先端の蕾が開花していたので切り落として切り花にした。この白いランは旦那が15年ぐらい前の誕生日にプレゼントしてくれたもの。毎年花を咲かせてくれるが今年は結婚20周年だからかマシマシで咲いてくれた。


2025年8月22日金曜日

Lithuania (Trakai)_2025

 イスラエルからきた友人たちは友人たちは高齢という事もあってビルシュトナスのサナトリウムで泥パックやら水中エクササイズやらマッサージやらの施術を一日に5つという超過密スケジュールだったので全ての施術が終わった夕食時間に会うという感じであった。それでも一年ぶりに会えて楽しく夕食を共にして密な時間であった。その後管理人夫婦はビルシュトナスを後にしてそこから車で1時間ぐらいの距離にあるトラカイへ行きそこで一泊してリガへ帰ることとしたのであった。

トラカイは湖が美しく、そこに浮かぶ中世の城が有名である。

管理人はかねてからトラカイを訪れてみたかったので、今回はとても楽しみにしていた滞在であった。トラカイの宿は宿からトラカイ城が望めるという湖畔の宿であった。宿に車を置いて歩いて13分でトラカイ城まで行ける。とても良い天気でのんびり散歩しながらトラカイ城である。トラカイ城へ渡る橋の手前の湖畔にはたくさんのカフェや土産物屋が立ち並び、大層繁盛していた。

天気最高。

湖と青い空と雲。

実は管理人は観光地が大好きである。本当にくだらない土産物屋でご当地指貫(シンブル)を買うのが趣味でもある。トラカイは観光地なのでちゃんとご当地指貫が売られていて大変満足であった。湖畔のカフェで発泡ワインを飲みながらのんびりと古城とボート遊びをする人々を眺める。大変リラックスした時間を過ごすことができた。

宿はトラカイ城が望める湖畔の宿にしたのだが、なぜかそこはジョージア人によって経営されている宿でレストランもジョージア料理店だし朝食もジョージア風であった。リトアニアでジョージア料理を食べて帰るというのも変なものだが、大変美味しかったのであった。

宿からの眺め

ジョージア風朝食の前菜。左のびんに入っているのはレバーペーストのジャムがけ。パンに塗って食べると大変美味しい。サラダも美味しい。

ジョージア風オムレツ。中にクリームチーズがふんだんに入っていて、トッピングがトマトとベーコン。美味しいが結構ヘビー。

とても楽しいトラカイ滞在であった。唯一の心残りは「リトアニアではツェッペリナイを必ず食べるべし」という家訓が守られなかったことである。トラカイからリガへ帰る途中で食べようということにしていたのだが、朝食が遅めで重かった事もあり国境付近のカフェでなんとかしようと車を走らせつつ、「ここ、ここ右折!」とか叫びながらも間に合わず通り過ぎるを繰り返して国境へ到達してしまったのである。なんとも気まずく国境を越えた管理人夫婦であった。

2025年8月21日木曜日

Lithuania (Birštonas)_2025

 毎年、イスラエルから避暑に来る友人に会いにリトアニアへ行ってきた管理人夫婦である。

いつもはドゥルスキニンカイというSPA地へ来る友人夫婦は今年ビルシュトナスというトラカイに近いSPA地へ来ることにしたというので会いに行ってきたわけである。ビルシュトナスは人口3000人ぐらいの小さな街で、緑と美しい川が流れているだけである。ただ、この地にはサナトリウムがいくつかあって療養目的で訪れる人が多いのだという。

川沿いが綺麗

ビルシュトナスはミネラルウオーターの採水が盛ん。これはミネラルウオーターを上から茅葺きの壁を伝わらせて蒸散させ、海にいるような空気を作る装置なんだそうな。

日本人の99%が聞いたこともないビルシュトナスの薬草園に何故か日本語の解説が。

松林の中に整備された公園には子どもたちの遊具や大人も楽しめるエクササイズ機器が設置されていた。町中のあちこちに彫像があって、楽しく散歩できるようになっていた。

管理人の友人たちが宿泊しているサナトリウムで一緒に夕食を食べようということになり、行ってみるとなぜか日本人の若者がいる。ドイツからもスウエーデンからも何やら大会でもあるのか各国から若者たちが集まってきていたのであった。その翌日、ホテルの近くの森から人々の大きな声が響いていた。どうやらオリエンテーリングの大会のようであった。